ノなって頭を振りながら、御帰還あそばすッてことになるんだア。ねえ、お嬢さん、オレァ、金なんざどうでもいいや。ぜひひとつやっチくんねえ。一つ話にならア」喘息「なるほどこれはご名案でありますが、まだチト腑に落ちぬ個所もあるようであります。しかし、批判は差し控えまして、簡単にワタクシの考案を申し上げることにいたします。ワタクシは元来理髪師でございまして、なかんずく、得意といたしますところは白髪《しらが》染めでございます。しからばどういうわけで、このアルプス地方に移住いたしたかと申しますと、だいたい登山などと申しますものは人間力以上の精神の緊張を要求されるものであります。その間に費やされるエネルギーまたは心労というものは実に筆紙に尽されぬくらい、されば、朝《あした》は黒髪の青年も、夕《ゆうべ》は白髪の老人となって下山するであろう。さすれば商売繁盛疑いなしと思いましたところから、いそいそと当地方に移住いたしましたが、いかなる次第か、予期に反しましてそういう現象は起こらない。やむなく山案内《ガイド》を志願いたしまして、辛くも糊口《ここう》を支えているような次第でございます。さて、ワタクシの経験から
前へ
次へ
全32ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング