まする条々、よウく心をしずめてお聞きとり下さい。……そもそもアルプスの山神と申しまするは、その昔、天の火を盗んだ百罰として、コウカサスはエルブルュスの巓《いただき》につながれましたるプロメシウスの弟|御《ご》パラシュウスと申す猛々しいお方でござります。されば山の犠牲《にえ》としてご要求になる人命と申しまするものは、一年にだいたい二百六十個、片足だけお取りあげになったものは千八本、前歯が六百枚、耳が七十三対という有様でございます。とりわけお好みになりまするは、各国、各人種のお初穂《はつほ》でございまして国別にいたしましてその国の最初の登山者の人命は、必ずお取りあげになるというのが古来アルプスの山の掟《おきて》でございます。例を申しますなれば、エドワアド・ウイムバアは最初の英吉利《イギリス》人、ハンス・ジムメルマンは最初の墺太利《オースタリー》人、アブ・アッサンは最初の土耳古《トルコ》人でございました。お見受け申しますれば、フィリッピンとかマニラとかあのへんのお方と存じますが、アルプスの記録にはフィリッピン人が登山したという事実はまだ記載されていないのでござります。さすれば、お二人さまはそ
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