、くるくると光の渦を巻きながら魚紋を描いているのを指《ゆびさ》して、鮒《ふな》じゃ、鯉《こい》じゃ、といい争っていると、
「はい、今日は」といいながら寄って来たのは、鉄縁《てつぶち》眼鏡をかけた半白の老人。村役場の傭書記《やといしょき》、小学校の理科の先生、――そういった実体《じってい》な人物。
「ご清興をおさまたげいたしまして申し訳もありませンが、ぜひともお耳に入れたい事がござります、と申しまするのは、……」と、声をひそめ、「実は、あなたがた、お二人さまの生命に関する重大な報告を持参いたしたからでござります」
 聞き捨てならぬ、と二人は思わずその方へ乗り出すと、
「ささ、お見受けいたしますれば、これはアルプス登攀《とはん》のご途中と拝察されますが……」
 すると、厚手の毛織上衣《シャンダイユ》に革の脚絆をしたうら若き東洋的令嬢《にっぽんのおじょうさん》、喉もとから腰のあたりまで巻きつけた登山綱《ザイル》をポンとたたいて、
「ええ、ご覧の通りよ」と、涼しげにいい放った。鉄縁眼鏡は天を仰いで嘆息し、
「ああ、天なるかな、命なるかな、……まことに申しにくいことながら、これから手前が申しあげ
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