驚いて、
「あら、でもヘルキュレスというのは、頭から尻尾まで真白な立派な牛だってことですが、……でもこの牛は赤いですわ」というと会長は丸い顔をつるりと撫で、
「なアに、こいつは今朝《けさ》から赤大根《ベットラヴ》の喰いづめで、それにそれ、赤葡萄酒《シャトオ・ヌウフ》の生《き》一本を二|升《ヒドン》ばかりやったのでこんなに赤くなったのでごわす」といった。
 五、犬にも徳育、豚にも愛嬌《あいきょう》、されば牛にはご修身。『闘牛学校』という看板のかかったアーチ形の入口についていた呼鈴《ベル》を押すと、出て来たのは、寸詰《すんづま》りのモオニングを着た五尺未満のチョビ髯の紳士はこちらが述べる用向きを途中から引ったくって、
「委細《いさい》承知。みなまで仰言《おっしゃ》るな。つまりですナ、この牛君……牛様に武芸万般を仕込んでぜひともヘルキュレスを闘技場《アレエヌ》の砂に埋葬しようという。……それならば秘策は万事|拙者《せっしゃ》の方寸にありますヨ。なるほど、こう申しては失礼ですが、お子供衆を拝見いたしますと、まだいささか柔弱の趣きですナ。しかしです、貸すに二週間の時日をもってせられるならばです、
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