》の門、千古の金言。コルシカ人尊敬の幟《のぼり》を押し立て、行きあうコルシカ人に、いちいちもれなく、
「|今日は兄弟《ボンジョオル・フラテルロ》!」と愛想を振りまきながら、さながら薄氷を踏む思いで部落を通り抜けると、やがて、皮付きの松丸太を極めて不手際《ふてぎわ》に組み立て屋根の上には強北風《トラモンタアヌ》よけのごろた[#「ごろた」に傍点]石を載せたという堂々たる『極楽荘』に行き当った。内部は一間きりの広々とした四角な部屋で、大きな囲炉裏《いろり》の壁の上には、鹿の首や、賞牌《メダイユ》や、ひからびた姫鱒《ひめます》や、喇叭《ラッパ》銃や、そのほか訳のわからぬものが無数に飾り付けられてあった。
 二人が部屋へ入って行くと、梁《はり》の上から丸々と肥った山鳩が三羽飛び下りて来、寝台の下からは、黒い山羊が起きあがって来て、渋い声でめえ[#「めえ」に傍点]とないた。
「あら! あの禿頭のいったことは嘘じゃないわね。部屋だって、このがらくた[#「がらくた」に傍点]を始末すると、ずいぶん手ごろないい部屋になると思うわ、あそこにはあんな大きな山鳩がいるし、燻製《くんせい》の鱒《ます》があるし、山羊の乳まであるんだから、まるで食物|庫《ぐら》にいるようなものだわね。今晩は早速だけど、鳩の丸焼と燻製を喰べることにしようじゃないの」というと、コン吉は、
「大賛成だね。じゃ僕はこれから鳩に引導を渡すことにしよう」と勇み立ったが、これがそもそも災難の濫觴《はじまり》であろうとは。
 五、凶雲低迷す極楽荘の棟木《むなぎ》の上に。さてその翌朝、コン吉が寝床で唱歌を歌っていると、突然、赤と黄の刺繍《ぬいとり》をした上衣を着た、身長抜群のコルシカ人が一人、案内も乞わずに悠然《ゆうぜん》と入って来た。漆黒の、炯々《けいけい》と射るような眼でコン吉を凝視《みつめ》ながら、
「拙者《やつがれ》は当部落の族長《カボラル》でごわす。そこもと達はどういう御用件で御来村なされたか」と、荘重な口調でたずねた。
「ま、どうぞこちらへ。どうぞこちらへ」と手近な椅子に招じたうえ、この河童頭《かっぱあたま》の令嬢が一念発起して画道の修業に取りかかるため来村いたしたこと、この小屋は正当な手続きを踏んで、長期の契約で周旋屋から借り入れたこと、その契約書はここにあること、このへんはたいへん景色がよく、また、空気もいいこと、そのうちに一度お挨拶《ちかづき》にあがって、ご自慢の喉を聞かせていただきたく存じていた、……こと、れろれろと舌をもつらせながら取りとめもなくしゃべり立てると、族長《カボラル》は、
「どれほど御滞留になるか、それだけうかがえば結構でごわす」といい放った。タヌは進み出て、コニャックを注ぎ、腸詰、乾酪の類を持ち出してところ狭いまでに並べながら、
「まったく、一生でも住みたいくらいですよ。もう何から何まで気に入ってしまいました」と答えると、族長《カボラル》は、
「いや、わかりましたじゃ」といって、薄い唇の上に生えた見事な八字髯をひねりながら部屋を見廻していたが、
「以前《もと》はそのへんにいろいろな飾り物がごわしたが、あれはなんとなりました」とたずねた。
「みんな物置きへほうり込んでありますわ」
「ほほう。……鳩が二羽足らんようじゃが……」
「あら、いただいてしまいましたわ。あの一羽は時計の代りに取ってありますの」
「結構ですじゃ。……それから姫鱒の乾物はなんとなりました」
「鱒もいただきましたよ」
 すると族長《カボラル》は、腕組みして何か考えていたが、やがて、急に腕を延してたて続けにコニャックをあおりつけてから、
「さぞ美味でごわしたろう」と、凄味《すごみ》のある声でいった。
「あら、お望みでしたら、まだ残っていますからお持ちくだすっていいですわ。ねえ、コン吉、まだ半分くらい残っていたわねえ」
「あります、あります。ちょっと待ってください」
 と、いって、コン吉は戸棚の中から、無惨にも胴切りにされた鱒を持ち出して族長《カボラル》の前に置いた。族長《カボラル》はしきりにその頭をひねくり廻していたが、
「さようならばこれはちょうだいいたす。……それから念のために申し上げるが……」といって、この小屋は非常に不吉な小屋であって、この借り主は代々非業の最後を遂げること。一人は寝床で胸を刺されて死に、一人は石垣のそばに坐ったまま頭を射抜《いぬ》かれていたこと、以来とかく遺憾千万な出来事が引き続いて起こったようなわけであるから、生命《いのち》が惜しいと思ったら、今のうちに引きあげられるほうが賢明なやり方であること、こんな事を申しあげると当部落の恥辱、かたがた族長《カボラル》たる自分の不名誉でもあるのだが、御両所の生命に関することだから、包まず右まで申し上げる次第である、と語った。それ
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