す。いずれそのうちに喇叭《ラッパ》を吹いてやって来るようになるだろう、って話です。どうです、ひとつ、そのへんの山荘《シャレエ》を一軒ご周旋しようじゃありませんか。『極楽荘』っていうんですがね。総二階に車寄せなんかついて堂々たるもんですよ。生憎《あいにく》手元に写真がないんでお目にかけられませんがね。寝室、応接間、台所、浴室、物置、……と、これがみな一間にかたまっちまって、それゃ便利に使えるんです。実はね、今までにも方々から申し込みがあったんですがね。ゆくゆくは手前の隠居所にしようと思っていたんで、惜しくて周旋する気になれなかったんです。いいですからなあ、あんな気楽なとこはありませんよ、……いらっしゃい。ね、いらっしゃいよ。せつにお勧めしますよ。もっとも家賃は少しお高価《たかい》ですがね、生命が延びようってんだから安いものでさ。
三、差出すに名刺あり翻すに幟《のぼり》あり。『極楽荘』が所在するタラノの谿谷は、金山《モンテ・ドロ》という高い山の麓《ふもと》の、石ころだらけの荒涼たる山地の奥にある。ここに行くにはボコニャアニョまで汽車に乗り、そこから数限りない谷川と峠を越え、こ暗い雑木林《マッキオ》の中にかすかに切り開かれた『|蛇の道《セキエール》』をくぐり抜け、黒柳の生えた大きな谷の縁を小《こ》半日も廻って行くのである。
コン吉は、タヌと検査官のうしろから、騾馬《ろば》の背に揺られ、絶えずキョトキョトと落ち着かぬ視線を前後左右に放ちながら続いていったが、やがて、
「これは全く人跡未踏ですね。この半日、一人の人間にも出あわなかったじゃありませんか。……つかぬことをおうかがいするようですが、このへんにもやはり東洋ぎらいのコルシカ人ってのがいるのでしょうか」と、たずねると、検査官は肩をすくめて、
「これは意外ですね。途中に幾人《いくたり》もいたじゃありませんか。松の木のてっぺんにもいたし峠の躑躅《つつじ》の繁みの中にもいました。みな鉄砲を持っていましたよ。……あれは、前科者《プロスクリ》とか森林山賊《チュシナ》とかといういかめしい連中なのです。ぶっそうなことにはね、コルシカ人ってのは、みな鉄砲の名人です。十町も向うから暗夜に烏の眼玉を射抜《いぬ》こうという腕前です。それからコルシカ特有の匕首《プニャアレ》を実によく使います。そっとうしろから忍び寄って、これぞと思う生物の肩胛骨《かいがらぼね》のところへ、威勢よくそいつを突き通す。それから、ゆっくり(寝くたばれ!)といってきかせるのです。突き刺された方は、そこで、急いで寝くたばってしまう。千に一度の失敗《はずれ》はないのです。一九二〇年のことでした。私の同僚がやはりこのへんの検査に来た。そこでやむを得ない行きがかりからその部落の族長《カボラル》を、(この溝鼠《サロオ》!)とどなったんだ。その検査官はアルサスの営林大区へ栄転して、間もなくそこで死にました。すると、ちょうどその一周忌にも当ろうという朝、彼の十字架の肩のところに、コルシカの短剣が一本突き刺されてあったということです。つまり、コルシカ人ってのは非常に義理がたいところがあるのですね。五法《サンスウ》借りたら五法《サンスウ》返す。……ま、そんな工合です。だから、コルシカ人につまらない真似をすると、地球の果てまで逃げ廻ったって無駄です。必ずどこかでやられてしまう。これだけは確かです」
語りつづけているうちに、やがて目の下に、乏しい黒い部落を浮べた小さな丘が見えて来た。検査官は、その丘を指さしながら、
「あれがタラノの部落です。あそこに大きな雑木林《マッキオ》が見えますね、あのはずれに一軒建っているのが多分極楽荘です。私はここからもっと上へのぼってゆきます。では、ご機嫌よう、コルシカ人に用心なさい」といって、それから一人で尾根伝いにのぼっていってしまった。
コン吉は急に泣きっ面になって、
「やや、これは困った。ここへおいてゆかれたんでは進退きわまってしまう。進めば族長《カボラル》、退《ひ》けば山賊《チュシナ》、……タヌ君、一体どうしたものだろう」というと、タヌは一向平気な面持で、
「心配することなんかあるものですか、あたしに名案があるんだから落ち着いていらしゃい。ここにね、昨夜《ゆうべ》あたしが作っておいた幟《のぼり》があるから、これをよく皆に見えるように拡げながら部落へ入って行くのよ。それで大丈夫」といって、鞄の中から白金巾《しろかなきん》の風呂敷のようものを取り出してコン吉に渡した。コン吉が受け取って拡げてみると、その白布にはでかでかと大きな字で、こう書いてあった。
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われ等はコルシカ人を尊敬す[#「われ等はコルシカ人を尊敬す」は2段階大きな文字]
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四、口は禍《わざわい
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