も詰まるような切迫した声で、
「コン吉、しっかりしてちょうだいね。ああ、大変なことになってしまった。怪我《けが》くらいならいいけど、もし殺してしまったんだったら、ただでは済まないわね。あんな真似をしてふざけた方も悪いんだけど、今さらそんなことをいったって仕様がないよ。コン吉、どうする?」と、これはどうやら涙ぐんでいる様子。
 日ごろ気丈なタヌの取り乱したようすを見るよりコン吉は、その場の椅子にへたへたと腰をおろしながら、
「ああ、とんだことになった。どうするもこうするも、こういってるうちにも部落の連中がやってくるかも知れないね、逃げるなら今のうちだと思うけど、果してうまく逃げ終わせるかしら」
「さあ、難しいわね」
「僕も難しいと思う。……仮りにだね、あのコルシカ人が死んだとすると、本当にタラノの連中は僕たちをやっつけるだろうか」
「そう、やりかねないね」
「うわア、それじゃ困る。……憲兵なり看守なりに、われわれを引き渡してくれるのなら、必ずこっちに理があるんだけど」
「ああ、もうしょうがないわね。なんにしろ、びっくりしてやったことなんだから、よく理由《わけ》を話して詫びることにしましょう。それがいけなければ、またその時のことよ、コン吉、今度こそはしっかりしてちょうだいね」
 それにしても、意外な羽目になった。夢も未来もあるものを、コルシカの土民づれの手にかかって、こんな山間|僻境《へききょう》であえなく一命を落すのかと、いずれも悲愴な思いに胸を閉ざされながら、その夜はまんじりともせずに語り明かした。
 八、天国へのマランン競走、三日のハンデ・キャップ。すると、その翌日の日没後、つかつかと部屋に入って来た四人のコルシカ人、驚きあわてる二人の腕を左右からとり、部落まで引きずっていって乏しい橄欖《かんらん》畑のそばの一軒の山小屋の中へ押し入れた。部屋の中には十二三人のコルシカ人が腕組みをして円陣を作り、その中央には、荒削りの板で作った柩《ひつぎ》があって、柩の中には馬のような長い顔をした死人が、口をあいて鯱張《しゃちこば》っていた。
 族長《カボラル》は二人を一段と高い壇の上にすえて、
「さて、御両氏、ここに瞑目しているものは、昨夜御両氏の手にかかって非常な最後を遂げたジュセッペ・ポピノでごわす。これより吾々は同郷人《パトラン》の悲しき最後の勤めを果しまするによって、よウくお目にとめてご覧ありたい」
 そういってから、腰に吊していた匕首《プニャアレ》を抜き、三度死人の頬に触れ、死人の毛髪を少し切り取って胸の小嚢《こぶくろ》に納め、それから柩に向って手をうちながら、荘重な声で、|即席の埋葬《ヴォチェロ》歌を唄い出した。
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こいつは村で一番の射撃の名手であった。
雀の嘴《くちばし》から麦の粒を撃ち落す奴であった。
この地上にはもう撃つものがなくなったので、
それでお前は天国へ行ってしまったのか。
そんなら神様と二人で雲雀《ひばり》でも撃って遊んでいるがいい。
お前の敵は鉄砲持ちをするために、
いずれ後から追いつくだろう。
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 すると、一同はこれも手を打ちながら「いずれ後から追いつくだろう」と、追句《レボレ》を唱った。
 族長《カボラル》は聖句も読みあげ、死人の蹠《かかと》に油を塗り、柩の蓋をすると、六人のコルシカ人は柩をかつぎあげ、低い声で鎮魂歌《レクエイム》[#ルビの「レクエイム」はママ]を合唱しながら墓地《カンポサンタ》の方へ、夕星の瞬く丘の横道をゆるゆるとのぼっていった。
 族長《カボラル》は柩が丘の向うに見えなくなるまで見送ってから二人に向い、
「コルシカ人を手にかけたものは、コルシカ人の復讐を受けなくてはならん。ここに並んだ五人の同郷人《パトラン》のうちの二人がそれを果すのでごわす。それは今日から三日目のアヴェ・マリアの刻限までに果されることになりましょう。では、どうぞ、これでお引き取り下され」といって扉《ドア》をあけて戸外を指した。
 コン吉とタヌは、かねて覚悟はしていたものの、あまりのことの次第に驚きあきれ、しばらくは言葉もなく、林の中をよろめき歩いていたが、
「あゝあ、これでギリギリ結着というところだ。今度という今度は助かるまい。それともタヌ君、どうせやられるものなら、一つ死んだ気で逃げ廻ってみようか!」と、いうと、タヌは首を振って、
「いや、それは無駄よ。たとえ世界中逃げ廻ったって、いずれやられるに違いないのよ。そんなら逃げ廻って苦しむだけ無駄ね」
 コン吉は天を仰いで長大息し、
「いや、そうと決まれば僕も日本男子だ。もう、じたばたするものか! 撃つのか突くのか、なんとでも勝手にするがいい、立派にやられてみせてやろう!」
 あとは互いに手をとり、感慨無量に瞳を見合わすばかり
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