馬車。四頭の白馬にひかせた四輪馬車《ファイトン》の上には、白色のフランス大薔薇と珍種の蘭をもって作りたる巨象をすえ付け、その背には、薄紗《うすしゃ》の面怕《ヤシマック》をつけたアフガニスタンのバレエム王女が乗っている。その次に立ち現われたのは、族館「地中海宮《パレエ・ド・ラ・メディティラネ》」の「大鳥籠《ヴォリエール》」と名付けし二輪馬車《ヴィクトリヤ》。空色の香紫欄花《ジロツフレ》に瑠璃草《ミオティス》で作った鳥籠の中でさえずるのは駒鳥にあらで、水仙黄《ナルシス・ジョオヌ》の散歩服に黒|天鵞絨《ビロウド》の帯をしたる美貌の閨秀《けいしゅう》詩人オウジエ嬢。続いて亜米利加《アメリカ》の百万長者ビュフォン夫人の「金の胡蝶」、聖林《ハリウッド》の大女優リカルド・コルテスの「ゴンドラ」、ドイネの名家ド・リュール夫人の「路易《ルイ》十五世時代の花籠」、……清楚なるもの、濃艶なるもの、紫花紅草、朱唇緑眉、いずれが花かと見|紛《まご》うまでに、百花繚乱と咲き誇る。期せずして桟敷《さじき》の上よりは、ミモザの花、巴旦杏《アマンド》の枝、菫《すみれ》・鈴蘭・チュウリップと、手当り任せに投げつければ、車上なるはかねて用意の花束に、熱き接吻を一つ添え目ざす方へと返礼する。桟敷の上では、これをつかもうと乗り出して墜落する奴、帽子を飛ばして禿頭を露出する奴、採取網を振り廻して、他人の頭に瘤《こぶ》をこしらえる奴、てんやわんやの大騒ぎ。
 すると、この大騒動のまっただ中へ、耳を聾《ろう》するばかりの轟々《ごうごう》たるエンジンの地響を打たせ、威風堂々と乗り込み来たったのは、豪猪《やまあらし》の如き鋭い棘《とげ》を蠢《うごめ》かす巨大なる野生|仙人掌《さぼてん》をもって、全身隙間なく鎧《よろ》いたる一台の植物性大|戦車《タンク》。アレアレッと驚き見まもる暇もなく、砲塔をゆるやかに旋回させ、八|糎《センチ》速射砲の無気味《ぶきみ》なる砲口を桟敷の中央に向けたと思うと、来賓席の二段目を目がけて、たちまち打ち出す薔薇やアネモネの炸裂弾。息もつかせぬ釣瓶打《つるべう》ち。桟敷の上からも棕櫚《しゅろ》の木のてっぺんからも、たちまち起こるブラヴォ、ブラヴァの声。湧き返るような大喝采《だいかっさい》、大歓呼のうちに、やがて、砲塔の円蓋を排して現われたのは、眉美《まみうるわ》しき一人の東洋的令嬢《にほんのおじょうさん》。撫子染《なでしこぞ》めの長き振袖に、花山車《はなだし》を織り出したる金繍《きんらん》の帯を締め、銀扇を高くかざしていたったるは、花束もてこの扇を射よとの心であろう。倨然《ぎぜん》たる戦車《タンク》の後尾に樹てられし旗竿には、ああ、南仏の春風に翩翻《へんぽん》と翻る日章旗。
 四、五人目の祝賀客は波蘭土《ポーランド》製のアイス・クリーム。紹介もなく突然お邪魔にあがりました失礼は、どうぞ謝肉祭《キャルナヴァル》に免じておゆるし下さいませ。それと申しますのは、私は突然、今晩遠いところへ旅立ちしなくてはならぬことになったからでございますの。ずっと、ずっと、ずウっと遠いところなんでございます。それはさて、私は一昨日《おととい》、お両人《ふたり》様と[#「お両人《ふたり》様と」は底本では「お両《ふたり》人様と」]花馬事の一等賞を争いました「生きた花馬車」でございます。いいえ、つまり、そのマダム・ルウジュなんでございますの。本当に惜しいところで敗北いたしましたが、でも、もちろんでございますわ、審判官《ジュリイ》の眼に狂いはございません。お両人《ふたり》の「|花園を護るもの《ギャルディアン・ド・ジャルダン》」に比べましたら、私の花馬車などは、蘭の前の菠薐草《ほうれんそう》のようなものでございます。でも、ただ一つご記憶を願いたいのは、お両人《ふたり》の花馬車がございませんでしたら、私の「生きた花馬車」は、きっと一等になっていた、ということでございます。ああ、五千|法《フラン》の賞金! まるで夢のようでございますわ。わずか一点の差で勝ったものと敗れたもの、……つまり、五千|法《フラン》対零|法《フラン》の二人の競走者《リヴァル》が、こうして卓を隔てて会話をいたすと申しますのも、何かの因縁《いんねん》でございましょうから、なにもかも打ち明けてお話しいたしましょう。何を隠しましょう。私は今晩凍死をして自殺する決心なのでございます。私は先刻《さきほど》、大桶に一杯のアイス・クリームを部屋に取り寄せておきました。それを皆喰べてしまいましたら、そっと料理場へ降りて行って冷蔵庫へ入り外から錠をおろしてしまいます。すると、有難いことには、私は明日《あす》の朝までには、多分アイス・クリームで作った人魚のようにコチコチに固まっているのに違いありません。そして、ホテルの料理番は私の頬《ほ》っぺ
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