たを一|匙《さじ》喰べて見て、「おや、これは上出来だ」などと申すことでございましょう。いいえ、どうかお止《と》めにならないで下さいまし。私はどうしてもこの世に生き長らえていることのできぬ身体《からだ》なのでございます。まあ! 本当にお優しいお嬢さま。……では、ご親切に甘えまして何もかもお話し申しあげてしまいます。何を隠しましょう。私はこの一月に二十万ズロオチイ、つまり二十万|法《フラン》を持ってモンテ・キャアロに参りました。実はこれを百倍にして波蘭土《ぽーらんど》の戦債を払うつもりだったのでございます。さて、球賭盤《ルウレット》の象牙玉に連れて廻る、人の運などというものは、本当に不思議なものでございますわ。一時は十五万|法《フラン》以上も勝ち越して、「|凄腕の波蘭土女《ポロネエズ・テリイブル》」とまで綽名《あだな》された私も、落目になると恐ろしいもので、赤へ賭ければ黒と出る、3へ張れば4と出るというわけで、勝ちあげた十五万法は朝日の前の霜と消える。そうなると焦《あせ》るからたまりません。覚えのない三十《トランテ》・四十《キャラント》をやる、銀行賭博《バカラ》をやる、手持ちの二十万法は、たった三日のうちに、みな指の間からずり落ちて、残ったのがわずか三百法。そこで思い付いたのがこの花馬車競技でございます。一等賞を取れば五千法。……これに限ると、四輪馬車に馭者《ぎょしゃ》をつけて一日二百五十法で借り、「生きた花馬車」を作りました。もともと花を買う金などはないので、花は、――薔薇の模様の着物を着た、つまり私自身なんでございました。さて、その後の次第はもうお話申しあげるまでもないことでございます。ただ今手元にありますのは、五十文《サンカンサンチーム》の真鍮玉一つ。……ここにおりますのは、夜会服《ソワレ》を着た乞食でございます。でも、私は満足でございますわ。世にも名高いニースの花合戦に加わり、一等を争って敗れたのでございますもの。天晴《あっぱ》れ華々しい最後と申してよろしゅうございましょう。では、アイス・クリームの溶けぬうちに、そろそろお暇《いとま》いたします。はなはだ勝手でございますが、これで失礼させていただきとう存じます。はい、何でございますか? ワルソオへ帰りますには、三千法もあれば充分なのでございます。ああ、懐かしいヴィスチュウルの河よ! ちっちゃな電車よ! 私の金糸鳥《カナリヤ》よ! さようなら。二十八歳まで生きて来て、そう、アイス・クリームになってこの世を去りますのも、みな神様の思召《おぼしめし》でございます。ではご機嫌よう。冷蔵庫の中からお幸福《しあわせ》をお祈りいたします。あの、なんとおっしゃいます? いいえ、とんでもない。どうして私が、見ず知らずのお両人《ふたり》さまから、三千法などという大金をちょうだいできましょう。そんなことを致しますくらいなら、この窓から飛び下りて死んだ方がましでございます。どうぞご心配無用に、……有難うございます、けれども、……なんというご親切……まるで夢のようで、夢ならばどうぞ醒《さ》めませんように、……はい、はい、ではお言葉に甘えまして有難くちょうだいいたします。……このご返礼と申すわけではございませんが、お両人《ふたり》さまに幸福の鍵を一つお譲りいたしとうございます。「明日午後二時」、オテル・リッツの一〇一号室をお訪ね下さいまし。そこで非常な幸運に廻り合うことがおできになりましょう。……一〇一号室でございますよ。どうぞ、お間違いなく。
 五、「招けば来る森羅万象」の秘法。アフリカの叢林《ジャングル》もかくやと思うばかりに、棕櫚《しゅろ》の大鉢を並べ立てた薄暗い部屋の隅から、「これは、これは、ようこそ御入来」といいながら立ちあがって来た、眼の鋭い、三十五六歳の白皙美髯《はくせきびぜん》の紳士。床に額を打ちつけるほどうやうやしく一|揖《しゅう》した後、「花馬車一等賞万歳! まずもって祝着《しゅうちゃく》の至りに存じます。……さて、手前がつまりご紹介にあずかりました一〇一号室でございます。お国の安南《アンナン》には、併合前六ヵ月ほど滞留いたしまして、キャオ・ワン・チュウ殿下のご知遇をかたじけなくいたしました。時に、両殿下には、今日はいかような御用向きで御高来くださいましたか」と、たずねた。タヌは、急に安南《アンナン》の女王のような重々しい声で、「君は『幸福の鍵』ってのを持っているそうですが、本当ですか」と、ご下問になった。すると、一〇一号氏は、うわッと一礼してから、
「いかにも仰せの通りでございます。しかし、それは鍵と申しましても、鋳物で作った鍵ではございませン。つまり、幸福を握る秘訣といったようなものでございますヨ。一口に申しますとですナ。無限に金を儲ける術でございます。……一九二五年のことでご
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