はなはだしきは額に玉の汗をうかべ、髪を引きむしってしきりに焦慮苦心する様子は、さながら学年試験の試験場の光景に異ならない。
 コン吉とタヌは、遠慮会釈もなく人垣を分けて、最も回旋盤《ルウレット》に近い椅子に割り込み、まさに美膳に臨もうとする美食家のような会心の笑みを浮べながら、ゆうゆうと卓《テーブル》の風景を観賞していたが、やがて、コン吉は咳《がい》一|咳《がい》、
「どうだね、そろそろ始めることにしよう。見廻すところ花々しい勝ち方をしている諸君もあまりいないようだ。ひとつ、この青羅紗の上へ、驚天動地の旋風を巻き起こして諸君の目を醒ましてやろうではないか」というとタヌは、うなずいて、
「急ぐにも当らないようなものだけど、じりじりなま殺しにされるよりも、ひと思いにやられた方が、モナコ公国だって助かるでしょう。じゃ気の毒だけど、そろそろ始めましょう。……コン吉、兎の足は持ってるわね」
「大丈夫だ、いま撫でるところだ。……それはそうと、どこへ賭《は》ったっていいようなものだが、ともかく、最も距離の短いところへ置くことにしよう。飛んで来る賭牌《ジュットン》にしたってあまり疲れないですむわけだからね」と、いいながら、大判の名刺ぐらいもある、紺青の千法の賭牌《ジュットン》を、すぐ手近かの MANQUE《さきめ》 と刷ってある青羅紗《タピ》の上へ、まるで古い財布でも捨てるように、ポイとばかりに投げ出した。
 |廻し役《クルウピエ》は、※[#始め二重括弧、1−2−54]|賭けたり、賭けたり《フェエト・ヴォ・ジュウ・メッシュウ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、しきりに勧誘していたが、おおかた一座が賭《は》り終えたのを見すますと、やがて廻旋軸《シランドル》を右に廻し、その運動の方向の反対側へ、白い象牙の玉を投げ込んだ。
 玉は仕切りの横金に衝突しては飛びあがり、ニッケル盆の斜面を駆けあがってはすべり落ち、はなはだ活発な運動をしている様子。
 一座|闃《げき》として声なく、ただ聞えるものは、白骨が打ち合うようなカラカラと鳴る玉の音ばかり。
 コン吉は、野兎の足を衣嚢《かくし》から取り出し、念を入れて三度鼻の頭を撫で、様子いかにと待ち構えていると、玉はおいおい活気を失い、|廻し役《クルウピエ》が※[#始め二重括弧、1−2−54]|賭け方最早これまで《オン・ヌ・ヴァ・プリユ》※[#終
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