「お! それは名案だね。一回勝てば三万五千法、百回で三百五十万法。……するとなんだね、三日もカジノへ通ったら、モナコ公国の国庫は破産することになりはしないかね」
タヌは快心の笑をもらしながら、
「そうよ。そのくらいでたいてい店仕舞《みせじまい》になるわね。ベネガスクとコンダミイヌの没落よ。なんでも持っていらっしゃい。みな抵当に取ってあげるわ。グリマルディ城、よし来た。プランセス・アリス号、よろしい。海洋博物館、〔c,ava〕《けっこう》 よ。ルウドウィック二世君、……これはすこし困るわね」
余りにも過激なタヌの威勢に、コン吉はいささか不安になったものか、急に声をひそめ、
「しかし、そうむやみに勝っていいものかね。噂によれば、大勝ちしたら生きては帰れないともいうが、せっかく勝ったところでズドンなんてのは有難くないからね。なにしろ、命あっての物種《ものだね》だ」と、弱音《よわね》を吹くと、タヌは、情けなそうにコン吉をみつめてから、
「君の真綿のチョッキには、金比羅様《こんぴらさま》のお札が縫い込んであるそうだから、たいていの弾丸《たま》なんかとおりはしないでしょう」と、無情《つれ》ないことをいう。コン吉は、なるほどとうなずいて、
「いや、それもそうだ。でもネ、三百五十万法なんていう模擬貨幣《ジュットン》は、一体どこへしまったらいいのかね。もちろん、衣嚢《かくし》なんかにははいり切れはしまい」と、いうとタヌは、
「よくまあ君はくだらないことを苦にする人ね。心配無用よ。これを御覧なさい」といって、腰掛けの下から紙包を出してその紐《ひも》を解くと、そのなかから、小馬なら一匹まるのまま、尻尾も余さず入るかと思われるような、巨大なズック製の買物袋が現われた。
七、日軍肉迫すモンテ・カルロの堅塁《けんるい》。金|鍍金《めっき》とルネッサンス式の唐草と、火・風・水・土の四人に神々に護《まも》られた華麗《けばけば》しき賭博室《サル・ド・ジュウ》。十二台の青羅紗の卓《テーブル》の上には、美しいニッケルの旋回盤《ルウレット》が、『六日間自転車競走』における自転車の車輪のごとく、朝の八時から夜中の二時までやむ時もなく旋回する。卓《テーブル》の周囲に蝟集《いしゅう》する面々は、いかなる次第に属するのか、みな一様に切迫した面持をし、手帳に数字を書き込み、何やら計算し、忙しくささやきかわし、
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