Eって歩道の上へ書きつけた。
[#筆算400×2=800 800+6=806 806+40=846 846+400=1246の図(fig47498_01.png)入る]
「ところで、こいつはたった八百法で買ったんだから、[#ここから横組み]1246−800=446[#ここで横組み終わり]で、四百四十六法も経済したうえに、あたし達は、碧瑠璃海岸《コオト・ダジュウル》の春風《はるかぜ》を肩で切りながら、夢のように美しいニースの『英国散歩道《プロムナアド・デザングレ》』や、竜舌蘭《アロエス》の咲いたフェラの岬をドリヴェできるというわけなのよ。この自動車はポルト・オルレアンの古自動車市で買ったんだから、立派とか豪華《リュクス》とかっていうわけにはいかないけれど、なにしろコオト・ダジュウルのことですもの、自動車《オオト》の一つくらい持ってなくては、シュナイダアにもコティにも交際《つきあ》うことは難しいのよ。さあ、コン吉、湯タンポをお腹んところへあてて! 車ん中であまり暴れると、踏み抜くかもしれないから用心しなくてはだめよ。いいわね、さ、出発!」
六、飛んだり跳ねたりマリオネットの兎小僧。北は巴里を基点として、南は仏伊の国境マントンに至る、ここは仏蘭西の※[#5分の4、26−上−8]を縦に貫く坦々たる国有道路《ルウト・ナシォナアル》。この大道を、磨き上げられた宝石のごとき [#ここから横組み]Peugeot−“103”[#ここで横組み終わり]、海鱸《あしか》のごとき Renault の Les Stella、さてはロオルス・ロイス、イスパノスュイザ、――おのがじし軽やかな警笛《シッフル》と香水の匂いを残して、風のごとく爽《さわ》やかに疾駆するうちに、模様入りの考古学的な自動車が、大いなる蝙蝠傘《こうもりがさ》をさした二人の東洋人を乗せ大工場の移転のごとき壮大な爆音をたて、蒙々たるギャソレンの煙幕を張って、あたかも病みあがりのロイマチス患者のごとき蹌踉《そうろう》たる歩調《あしどり》で、大道狭しと漫歩しているのは、まことに荘重類ない眺めであった。進むと見ればたちまち退き、右によろめき左にのめくり、一|上《じょう》一|下《げ》、輾転反側。さればコン吉は、手鍋《キャスロオル》の中で炒《い》られる腸詰のごとく、座席の上で転げ廻りながら、ここを先途《せんど》と蝙蝠傘に獅噛《しがみ》ついている様子。
雑然たる工場と、ボンボンの箱のような小住宅が雑踏する巴里の郊外地帯《バンリュウ》を離れると間もなくブウレエの石切り場にさしかかる。コン吉がこの大震動の間から、そっと偵察の目を押し開けて眺むれば、遠い野面《のづら》には霜に濡れた麦の切株、玻璃鐘《はりしょう》の帽子をかぶせたサラドの促成畑、前庭に果樹園を持った変哲もない百姓小屋、いずれも駱駝《らくだ》色に煤《すす》ぼけ、鳥肌立ったる冬景色。
巴里の市門《ポルト》イヴリイをよろめき出してから三時間あまり、もうオオゼエル村のあたりまで来たのでもあろうかと、ふと何気《なにげ》なく巴里の方を振り返ると、ナント、エッフェル塔は三色旗をかかげて、まだほんの間近にそびえ立っているという有様。これにはコン吉も呆《あき》れ果て、
「どうだろう、これからおいおい速力が出るという工合になるのだろうね。昼飯はオオゼエルの野菜料理屋で、名代のオムレットを喰べさせると君はいったが、もうそろそろ正午《ひる》だというのに、今見たらエッフェル塔はまだ目のしたにある様子だ。このぶんでは、巴里まで引き返して昼飯にした方が早そうだね。どうだろう」と、舌を噛《か》まない様に用心しながら、途切れ途切れにこれだけいうと、タヌは、
「巴里に引き返すといったって、この車は前だけにしか動かないよ。お腹《なか》がすいたら、この籠の中に麺麭《パン》と牛酪《フウル》が入ってるから、それでも喰べて我慢していたまえ」と、背中越しに籠を突き出してよこした。
コン吉は一|切《さい》を運命とあきらめ、包をあけて麺麭《パン》にバタをぬろうとしていたが、やがて、
「タヌ君、どうだろう。麺麭《パン》にバタをぬる間だけ、ちょっと自動車をとめてもらえないだろうか。なにしろ、バタのナイフが眉間《みけん》や喉へ来そうで危なくて仕様がない」
タヌは運転台の鏡の中で眉を顰《ひそ》めながら、
「パンを一口喰べてから、バタを指で掬《すく》って※[#「舌+低のつくり」、第3水準1−90−58]《な》めればいいじゃないの。君もずいぶん馬鹿ね。この車は一度停めたら、動き出すまでにはなかなかだから、停めるわけには行かないよ」
「では、バタの方はそれでいいとして、速力の方をもう少し出してもらうわけには行かないだろうか。僕はもうサラドの畑を見るのは飽き飽きした。少し変った景色も見せてもらいたいもの
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