Aあたかも道路改修中の柔《やわら》かいアスファルトの層の中へ前足を突っ込んでしまった。さながら蠅取り紙に足を取られた銀蠅の、藻掻《もが》けば藻掻くほど深みに引き込まるる、退《の》くも引くも意に任せず、ここに全く進退|谷《きわ》まった様子。商会の後ろにはこのために往来止めを喰った数十台の高級自動車が、口頭と警笛をもって、「退《ど》け、退け」としきりに催促する。道路工夫はわめく、監督は地団太《じだんだ》を踏む。タヌもようやく焦燥気味《あせりぎみ》で、あちらを捻《ひね》り、こちらを押すが、商会はアリゾナの野における悍馬《かんば》のように、ただ後足でぴょんぴょん跳ねくるばかり、一向に埓《らち》があく様子もない。業《ごう》を煮やした貴縉《きけん》紳士ならびに夫人令嬢は、それぞれ車から降り立って、二人の車を十|重《え》二十重に取り囲み、口々にがやがやと抗議を申し込む。
コン吉はたちまち上気し、鼻の頭に汗をかいてただ埓もなく、
「パルドン、パルドン」の百|万陀羅《まんだら》。これに反してタヌは、群集の口が増せば増すほどいよいよ活況を呈し、四面八方に薙《な》ぎ立てる。
「君、ちょいとその紳士《ムッシュウ》。君はいま、あたしの車を touf−touf《ぼろじどうしゃ》 だといったね。ぼろだって芥箱《ごみばこ》だって大きなお世話だよ。君の自動車を持って来てごらんなさい。どっちが touf−touf《ぼろじどうしゃ》 だかくらべて見てあげるから。なんだイ、髯なんか生やして。……それから、そっちの夫人《マダム》、君はさっき(このやりきれない pouce−pouce《うばぐるま》)といったね。そォお、乳母車のように楽に押せるかどうか、ひとつやって見てくれない?……ねえ諸君、動かないのは車のせいじゃないんだよ。アスファルトのせいなんだよ。こんなところへアスファルトなんか敷くからいけないんだ。これでも苦情があるならいってみてくれない。……さ、誰れでもいいから出ておいで!」
すると、声に応じて心得ありげな一人の流行的紳士が、群集の中から進み出て車の前蓋を開け、しきりにそこここと検閲していたが、さすがの彼もこの超科学的な発動機械には手の付けようがないらしく、やがて諦めて引きさがった。
群集一同は、この紳士を中心にして、しばらく額を集めて協議していたが、やがて衆議一決。タヌの気焔《きえん》に頓着
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