い張るが、それは多分、天気晴朗の日に空から降って来たような、天真爛漫な田舎の子供を知らないからなのであろう。まして、ここは海岸の事だから、帆立貝《ほたてがい》のなかから生れたような子供だの、鯨の背中に乗って流れ着いて来たような、うっとりするほどロマンチックな子供も居るに違いないのだ。あたしは、もう今晩は楽しすぎて眠ることができないであろう。コン吉よ、君はどうぞ、寝台の帳《リドオ》を閉めて、あたしに君の顔を見せないようにしてほしいのだ。あたしの楽しい空想や計画は、君の顔を見ると、不思議に破れてしまうからだ。とりわけて、今晩だけは鼾《いびき》をかかない様にしてもらえないであろうか。また時々、夜中に君を揺り起こして、あたしの計画を聞いてもらうつもりだが、その時はどうぞ、夢のような声で、優しくあたしに賛成してもらいたい。
そういうわけであったのかと、コン吉は今さらながら驚くばかり。あれやこれやと周章狼狽して、頓《とみ》に言葉も出ない有様。磨き粉の買い出しから、子供の pipi の始末まで、はるばる巴里《パリー》から手懸《てが》けに来るとは、なんたる因果、身の不仕合せ。はるか東のはずれの国にいる悪友共へ、この島の牡蠣《かき》酢が乙《おつ》でござるの、海老の刺身で一杯飲めるのと、いわでもよい法螺《ほら》を絵葉書の裏にぬたくって、郵便船《バケボ・ポスト》に托したのはつい昨日《きのう》のこと。見ると聞くとは大違いとは、さてはこのへんのことをいったものであろうと、首をかかえて嘆くばかり。
五、潮騒《しおさい》はサラサラ発動機船はポンポン。鴎《かもめ》は雑巾のような漁舟の帆にまつわり、塩虫は岩壁の襞《ひだ》で背中を温める、――いとも長閑《のどか》なる朝景色。さて、タヌの声に応じて、廊下の襞に背中を擦りつけ、目刺しならびに並んだ八人の子供というものは、どれもこれも、ゆくゆくはアフリカ行きの流刑船《エグジレ》の水夫になるとか、闘技場《アレエヌ》の暗闇に出没して追剥《おいはぎ》を働くとか、女ならば碁磐縞《ごばんじま》の服を着て、けちなルウレットを廻す縁日の|廻し屋《クルウピエール》、あるいは部落《ゾオン》にたぐまる吸殻《メゴ》屋の情婦にでもなりかねぬ末たのもしい面相|骨柄《こつがら》。いずれも唇をへの字に結び、うわ目でじろじろタヌを見あげながら、むっつり押し黙っているばかり。タヌがロマンチックな音色《こわね》で、いろいろ愛想をすればするほど、じりじりと後退《あとしざ》りをする。猫のようにぷう[#「ぷう」に傍点]とやる、踵《くびす》で壁を蹴る。今度は品を代えて、巴里仕込みの上等のボンボンを口の中に入れてやれば、一|※[#「舌+低のつくり」、第3水準1−90−58]《しゃぶ》り※[#「舌+低のつくり」、第3水準1−90−58]ってぽいと吐き出すという情《つれ》ない仕方、世が世であれば、帽子掛けへ猫つるしにつるすとか、どこか固いところをコツンと一つやるとか、コン吉はそれくらいに思ってじりじりするのだが、タヌは昨夜《ゆうべ》からの優しい夢がまだ醒めぬと見え、襤褸《ぼろ》っ屑《くず》の巣の奥から、眼だけ出した二十日鼠《はつかねずみ》のようなこの子供たちを、世にも愛《いと》しいものを見るような眼付きで眺めながら、根気よく無益な会話を続けているのであった。
「君、キャラメル好き?」「ノン」
「おや! では、バナナですか?」「ノン」
「天婦羅《てんぷら》などはどうですか?」「ノン」
「パリの絵葉書をあげましょう」「ノン」
「あんたは色鉛筆。あんたはリボン、ね?」「ノン」
「鶯《うぐいす》などはどう?」「ノン」
「じゃ、お馬ですか?」「ノン」
「おや、おや! あんたはインクで髯を書いたのですね? これは立派な伍長さんだ」「ノン」
「では、大統領かも知れないな」「ノン」
「ええと、その絵描き、ってのが汽船だけ書いて、ボートを描くのを忘れたものだから、船が港へ着くたびに、船長は陸まで泳いで行かなきゃならない、っていうの。なにしろ、波だってあまり上手《うま》く書けていないから、泳ぐにしたって楽じゃない、って。……面白いでしょう」「ノン」
「おや! ではお話をよしにして、お医者ごっこをしましょうか? あたしが……」「ノン」
「そいじゃ、これからギニョールの始まりだ。ほら、右手がギニョール、左手がキャヌウズなの。……さあ、始まり、始まり!」
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キャヌウズ――ギニョールさん、ギニョールさん。
ギニョール――あたしはおりませんよ。
キャヌウズ――これはしたり。いない貴方《あなた》が返事をするとは。
ギニョール――したが拙者《せっしゃ》は出られないのでござる。なぜと申せば、拙者の股引《パンタロン》めを鳶《とび》がさらってまいったゆえ。
キャヌウズ――でも、ここに、あなたに宛《あ》てた書留が一通。
[#ここで字下げ終わり]
「ノン」
「ははあ。では、前芸はも早これまで。これよりはご馳走《ちそう》の食べっくら。……一番沢山食べたひとには、王様からご褒賞《ほうび》が出るという話」「ノン」
「さあ、さあ、あちらには鵞鳥《がちょう》の焼肉羮《サルミ》とモカのクレエム。小豚に花玉菜、林檎《りんご》の砂糖煮《マルメラアド》。それから、いろいろ……」
「ノン」
「じゃ、どうすればお気にいるのですか? いっそ、あたし、あっちへ行っちゃいましょうか?」
「ウイ! ウイ!」
六、八月六日満潮午後三時干潮午前同刻。細い毛脛《けずね》を風になびかせ、だんだら模様の古風な水浴着《マイヨオ》を一着におよんだコン吉は、蜘蛛《くも》の子のような小さい紅蟹《べにがに》が這い廻る岩の上へ、腰を掛けたり立ち上ったり、まだ明け切らぬ海上を照らす浮き灯台の点滅光をわびしげに眺めながら、かねて貧血症の唇を紫色にし、毛を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》られたクリスマスの七面鳥のように、全身を鳥肌立てながら、片足を水に入れては躊躇し、また片足を水につけては首をひねり、何やらすこぶる煩悶の体《てい》に見えるのは、実に次のような仔細《しさい》のある事であった。
ジェルメェヌ後家の約束に違《たが》わず、この八人の悪魔の突撃隊は、毎朝六時に眼を覚まし、真紅になってわめき立て、手鍋《キャスロオル》をたたき、鬣狗《ジャカアル》のように吼《ほ》え、歯ぎしりし、当歳の赤ん坊までが、「フランス万歳!」と、廻らぬ舌で叫びながら、コン吉とタヌが階段の上《あが》り口に構築したがらくた道具の鹿砦《バリカアド》を乗り越え、押しもみひしめいて階段を押し昇って来る有様は、巴里市民諸君のヴェルサイユ宮殿乱入の件《くだり》もかくやと思われて、ルイ十六世ならぬコン吉も、さながら身の毛もよだつばかり、ついには、蒲団の洞穴の奥に身をすくめ、魂も身にそわぬ二人を引き出し、馬乗りになって眼玉の中へ指を突っ込む。腹の上で筋斗《とんぼ》を切る、鳩尾《みぞおち》を蹴っ飛ばす、寝巻の裾《すそ》へ雉猫《きじねこ》を押し込むという乱暴|狼籍《ろうぜき》[#「狼籍《ろうぜき》」はママ]。別の一隊はと見てあれば、六絃琴《ギタアル》を踏み台にして煖炉の棚に這いあがるもあり、掛時計と一緒に墜落するもあり、インキを振りまくもの、窓の外へ枕を投げ出すもの、鞄の中を引っかき廻す、眼鏡を踏みつぶす、果ては羽根布団の腹を裁《た》ち割って、その臓腑を天井に向って投げつければ、寝室はたちまち一面の銀世界。さすがのタヌも、いまは早や天国の夢も醒《さ》め果て、衣裳戸棚の中に避難して、戦後のソンムの村落にも劣らぬ、惨憺《さんたん》たる光景を眺め渡しながら、ただただ溜息をつくばかり。
さればといって、この悪魔の弟子どもを戸外《こがい》に放つならば、とたんに四方八方へかけ出し、これをかき集める苦労というものは、ほとんど筆紙に尽せぬほど。
しかしながら、これらはまだ、二人の苦役としてはなま優しい部類であって、最も始末に終えないのは、この悪魔どもの餌《えさ》に対する偏癖であった。
その朝、コン吉がこの島中を跳《は》ね廻って買い集めた肉や菓子や、あるいは野菜や乾物や、――これらはタヌのはなはだ飛躍した手腕によって、お伽噺《とぎばなし》風の羮《スウプ》となり、童謡風の副皿《アントレ》となったが、八匹の悪魔は、このスウプを瞥見《べっけん》するや否や、
「これは、鳥貝《ムウル》のスウプでない!」と、どなり出した。まず、長男のジャックがどなり、続いて二番目のジャックリイヌが「鳥貝のスウプでない」と金切り声をあげ、三番目がわめき、一番チビの半悪魔までが、「鳥貝のスウプでない!」と拒絶する始末。コン吉とタヌは、王様にしかられた大膳職のように懼れ畏んでスウプの皿を引きさげ、今度は青豌豆《あおえんどう》のそえ物を付けた、犢《こうし》の炙肉《やきにく》の皿を差し出したが、これもまた、
「これは、車前草《おんばこ》の擂菜《ピュウレ》でない!」という合唱的叫喚《シュプレッヒ・コオル》によって撃退された。いろいろとききただして見たところ、この二つがこの島の常食だということが始めて判明したが、この頑迷|固陋《ころう》な小仏蘭西人達は、他《た》のすべての大仏蘭西人達と同じように、容易に日常の主義を変えないことに、はげしい衿持《きんじ》を[#「衿持《きんじ》を」はママ]持っているものと見え、コン吉とタヌが口を酸《すっぱ》くし、甘くし、木琴のように舌を鳴らして喰べて見せても、一向に動ずる気色がないばかりか、最後に差し出したヴァニイル入りのクレエムなどは、皿のまま放りあげられ、いたずらに天井の壁に、黄色い花模様を描くにとどまったような次第。
コン吉がこの朝暁《あさあけ》に、風邪をひいた縞馬《しまうま》のように、しきりに嚔《くさめ》をしながら、気の早い海水浴を決死の覚悟で企てようとするゆえんは、この島の鳥貝なるものは、一町ほど離れた沖合の小島にのみ群生しているからであって、されば、朝ごと、朝ごと、コン吉は干潮の時間を見計らい、身を切るような冷たい海を泳ぎ渡り、それを採取に出かけるのであった。
一方タヌはといえば、これまた擂菜《ピュウレ》にするため谷を二つ越え、断崖の危ない桟橋《さんばし》を渡って、はるかなる島蔭の灯台の廻りに生えている車前草《おんばこ》を採集に出掛けるのであった。
二人は、海へ行く道と山へ行く道の分岐点《ビフュウル》になる乾物屋の横丁《よこちょう》で、涙ぐましき握手をかわし、一人は海へ、一人は山へ、別れ別れにつらい課役に従うため、そこで訣別するのであった。思いようによれば、これはさながら、千寿姫と安寿丸の悲しい物語にも似ているようで、さすがに猛きコン吉も、その心底、いささか愁然たるものあり。
さて、この悲しい朝夕が、いつまで続くことやら、床屋の香水棚へカアテンを張りに行ったジェルメエヌ後家からは、もう十日にもなるが一向に音便《おとさた》なく、小手《こて》をかざして巴里の方角を眺めやれば、うす薔薇色の雲がたな引き、いかにも快活な空模様であるに引きかえ、この島には雨雲低く垂れ、ねぼけ顔する灯台の回旋光が、雲の下腹を撫でては、空《むな》しく高い虚空へ散光するのであった。
七、ドミノ遊びは白と黒との浮世の裏表。
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尊敬するお二人様。恋の手綱《たづな》と荒馬の鬣《たてがみ》はつかみ難いと申しますが、わたくしのこの恋心も、たとえばどのように上手《じょうず》な運転手が制動機《フェレン》を掛けたとて、きっと停《と》めることはできないと思うのでございます。実のところを申しあげますと、わたくしの愛する男は、床屋の弟子でも、波止場の力持ちでもございません。それはアントゴメリと申す曲馬団のチャリネなのでございます。ご承知の通り、このような小さな曲馬団などというものは、村々の市の日、または葡萄祭や、麦の刈入れ、時には村長のお嬢さんの結婚式だとか、村道の開通式だとか、わけのわからぬ暦《こよみ》に従って、年がら年中、地図にもないような村々を巡って歩い
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