FORTUNE 号の残骸と、――そのほか、風とか、入江とか、暗礁とか、それ相応のものの外、計らざりき、災難というものさえあったという次第。
 そもそも、災難の濫觴《らんしょう》とも、起源ともいうべきその宿とは、先年、鰯をとるといって沖へ出たまま、一向|報《たよ》りをよこさぬという七歳を頭《かしら》に八人の子供を持つ、呑気《のんき》な漁師の妻君の家《うち》の二階の一室で、寄席《キャヴァレ》の口上役《コムメエル》のような、うっとりするほど派手な着物を着たこの家の若後家が、敷布と水瓶を持って、二人の前に罷《まか》り出た時の仁義によれば、この部屋は、かつて翰林院学士エピナック某《それがし》が、この島、すなわち「ベリイルランメール島の沿革および口碑。――或いは、土俗学《フォルクラアル》より見たるB島」という大著述を完成した由緒ある部屋であって、またこの窓からは、ありし日、サラ・ベルナアルが水浴をしているのが、手にとるように見えたこと。さて、今ははや、見る影もないこの衣裳戸棚ではあるが、これは父祖代々五代に亙《わた》って受け継いで来た長い歴史のために破損したのであって、ここに彫り込まれた三人目の漁
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