とだってできたのに」
「でも、とても、そんな勇気がありませんでしたの」
そういって、とつぜん、眼を輝かして、
「キャラコさん、あたし、赤ちゃんを生むのよ。……これからはどんなに生き甲斐があるか知れませんわ。……赤ちゃ[#「赤ちゃ」はママ]を生むって、どんな頼母《たのも》しい気持がするものか、あなたにはおわかりにならないでしょうね」
「ほんとうに、お目出たいわ。元気を出して、立派な赤ちゃん、生んでちょうだい」
透きとおるように蒼白くなった茜さんの頬が、昂奮のいろで淡赤《うすあか》く染まる。そこに赤い二つの薔薇が咲き出したようにも見えるのだった。あまりよく栄養もとれなかったと見えて、面《おも》差しはたいへんやつれていたけれど、そのかわり、眼の中には、堅忍とでもいったような、ゆるぎのない光がやどっていた。『母』の、あの面差しだった。
「あたし、ついこのごろまで、あのひとをどんなに恨んでたか知れませんの。でも、そんなことは、どうでもよくなった。いま、あたしは、気が狂いそうになるくらい、嬉しいの」
この五月に逢った時の、それとない茜さんの話では、茜さんの愛人の若い課長は、年齢の割りに少しば
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