座の空気は、しっくりとして、たいへんなごやかなものになる。
長六閣下が立って、簡潔な言葉で挨拶した。
「剛子《つよこ》のこれからのことは、ひとえに、剛子の精神の上に懸《かか》っているのです。この通り、まだ未熟な者ですから、海のものとも山のものともわからんのにかかわらず、皆様、よくお出で下さって、このような盛んな御声援を賜わったことは、まことに有難いことでした」
イヴォンヌさんに肘で突かれて、キャラコさんが、すこし上気したような顔で、立ち上る。
「わたくしは、改まって申し上げることなどは、何もございません。皆様だって、わたくしが鯱固張《しゃちほこば》った演説なんかするのを、あまりお聞きにはなりたくはないでしょうからね。……わたくし自身についていえば、じぶんの力をどの辺まで信用していいのか、全くわかっていないのですから、しっかりやって来るなんてことも、威張って申し上げられませんの。もう、これくらいにしておきますわ」
食事が始まった。
食事の合間々々に、みなが簡単な自己紹介をし、じぶんとキャラコさんとの間にどんなことがあったか、要領よく披露した。
馬のほうは、ただ、ひひんといなないただけであった。これが、いちばん喝采を博した。
小間使いが、手に速達を持って入って来て、キャラコさんに、そっと手渡しした。
茜さんからの速達だった。
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キャラコさん。
私だけのことなら、たとえ死にかけていても、必ず、おうかがいするつもりでした。あなたの立派な門出をお祝いするために。それから、いいつくせないお礼の言葉を、お別れする前に、もう一度、それとなく申し述べるために。
でも、今の私は、どうしても身体を動かすわけにはまいりません。こうまで早く、こんなことになって来ようとは、夢にも思っていなかったのです。私は、このひっそりした家にひとりでいて、絶え間なく襲って来るひどい苦痛の中から、いっしんにあなたのことをかんがえています。私の肉体はここにいながら、せめて心だけでも、そこへ行けるようにと思って。……私の席に私はおりませんでしょうが、心だけはたしかに、そこの椅子の上にいるはずです。あまり長くペンを持っているわけにはゆきませんから、もうこの辺で。あなたの、おしあわせを祈りつつ。
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消印《けしいん》の時間を見ると、きょう朝のうちに出した速達だった。
(茜さんが、なにか大変なことになりかけている……)
ここにいるひとたちが、みな幸福《しあわせ》そうな顔をしているのに、茜さんだけが、ひとりでなにか苦痛に喘《あえ》いでいる。この晩餐会が、みなのしあわせな顔を見るための会合だったとすれば、それを知りつつ、茜さんだけを放っておけるわけのものではなかった。
キャラコさんは、ちょっと、といって、立ちあがった。速達を読み上げてから、いま感じているじぶんの気持を、率直に説明した。
「……お招きしておきながら、ほんとうに我ままな仕方ですけど、どうぞ、わたくしを茜さんのそばへ、やって、ちょうだい」
食卓の向う端で、あの無口な山下氏が、まっ先に、口を切った。
「それは、そうあるのが、当然です。どうか、すぐ、行ってあげて下さい」
もちろん、誰も異存を唱えるものはなかった。
三
小田急の喜多見で降りて、宇奈根町の浄水場を目当てに行くということだったが、その辺は、広い田圃《たんぼ》や雑草の原ばかりで、家らしいものもなく、どこでたずね合わすすべもなかった。あちらこちらと散々迷い歩いたすえ、表戸を閉《し》めかけている荒物煙草屋へ飛び込んで、ようやく、そこへ行く道筋をきくことができた。
茜さんがいるという百姓家に行き着いた時は、もう八時を過ぎていた。右手は玉川堤で、水の涸《か》れたひろい河原の向うに、川が銀色に光っていた。
その百姓家は荒畑をひかえた、広い草原の中にポツンと一軒だけ建っていた。藁《わら》屋根がくずれ落ち、立ち腐れになったようなひどい破屋《あばらや》だった。柱だけになった門を入って行くと、雨戸の隙間から、チラリと灯影《ほかげ》が見える。涙が出るほど嬉しかった。
キャラコさんは、縁側の雨戸のそばまで一|足《そく》とびに飛んで行って、戸外《そと》から声を掛けた。
「ごめんください。……こんばんは」
ちょっと間《ま》をおいて、内部から、弱々しい返事があった。
「お産婆さんですか?……かまわず、そこを開けて入ってください」
キャラコさんが、雨戸をガタピシさせていると、また内部《なか》から、細い弱々しい、茜さんのつぶやくような声が聞えて来た。
「お産婆さん。よく、早く来て下さいましたわね。わたし、死にそうでしたの、心細くて」
(誰か、この家で、赤ちゃんを生みかかっているんだわ。たいへんだわね
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