、馬がヌーッと長い顔を差し入れた……要するに、この広い大きな客間には、この十一ヵ月の間にキャラコさんが新しく懇意になった二十人あまりのひとたちと一匹の馬、……約一年ほどの間に、キャラコさんの周囲《まわり》でさまざまな人生の起伏を見せたひとたちが、ただ二人だけを除いて、あとは一人残らず全部ここにそろっている。
箱根の蘆《あし》ノ湖畔で木笛《フリュート》を吹いていた佐伯氏は、まだこんな席へ出て来れない事情にあるので、ここにそのひとの姿はない。佐伯氏の妹の、あの美しい茜《あかね》さんの顔もまだ見えないが、どんなことがあってもおうかがいするという返事は二日前に届いているから、もう、間もなくやってくるだろう。
キャラコさんは、とりわけ、今晩は愉快そうに見える。
胸のゆるやかな、ワイン・カラーの薄薔薇《うすばら》色のジョーゼットの服をすんなりと着て、のどかな顔で客間の中を歩き廻りながら、あちらこちらへ愛想をふりまいている。
イヴォンヌさんが、ノオ・カラーの服の胸に蘭の花をくっつけて、レエヌさんのところと、大騒ぎをしている長椅子の鮎子さん達の組の間を眼まぐるしく行ったり来たりしている。
秋作氏のそばには、ついこの夏、結婚したばかりの従姉《いとこ》の槇子《まきこ》が淑《しと》やかに寄り添い、そのとなりに、長六閣下の白い毬栗頭《どんぐりあたま》が見えている。
沼間《ぬま》夫人と森川夫人と従妹《いとこ》の麻耶子《まやこ》は、今夜の接待係りなので壁煖炉《シュミネ》のところにいるボクさんや久世《くぜ》氏、ご母堂と話をしている苗木売りのお爺さん、丹沢山《たんざわやま》の、あの四人の科学者たちに、さまざまなおもてなしをしている。
馬のほうは、もともと気のいいたちだから、こうして、みなの愉快そうなようすを眺めているだけで、充分、満足なのである。
この月の中ごろ、キャラコさんは、山本譲治《ジョージ・ヤマ》の法定代理人というひとの訪問を受けた。
かくべつ、面倒な話はすこしもなく、紐育《ニューヨーク》と巴里《パリー》と倫敦《ロンドン》と羅馬《ローマ》の銀行に別々に預けられてあった山本氏の財産が、外国の代理人の手でひとまとめにされ、正金銀行に全部|送達《エンヴォイ》されて来たことと、財産相続の届け出、相続税の納付、その他一切の法律上の手続きが、ちょうど昨日《きのう》で完了したことを報告
前へ
次へ
全16ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング