るほど黒い色をしている。それに、二つに割ったその芯《しん》には、何ひとつ慰みになるようなものもはいっていない。
老人は、それを大切《だいじ》そうに両手のなかで捧げ持って、舌づつみをうちながらゆっくりゆっくり食べはじめる。ひと口|頬張《ほおば》っては、この世にこれ以上の珍味はないというふうに、
「うむ」
と、感にたえたような声をだす。
老人は、上顎にも下顎にも一本も歯がないと見えて、口をムグムグやるたびに、皺だらけの頬がじつに奇妙な動きかたをする。上唇と下唇がいっしょくたになって、鼻の下まで飛びあがり、唇の両端が耳のそばまであがっていって、お能の翁の面のような、なんともいえぬ味わいの深い顔になる。
老人は、勿体なそうに、ひと口ずつたいへん手間をかけて食べる。しかし、世にも楽しそうなこの食事も、そうながくかかるわけではない。握飯《むすび》は子供の握り拳《こぶし》ほどの大きさしかないので、まもなくすんでしまう。
老人は、指についた飯粒を唇でていねいにひろいとり、よれよれになった風呂敷を畳んで膝のうえにおくと、後味をたのしむように、うっとりとした顔でしばらくじっといる。それから、ゆっ
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