参《ながにんじん》をうしろに隠して、公園の入口で待ち伏せしていた。キャラコさんのつもりでは、この人参で、老人にちかづきになるキッカケをつくろうという肚黒《はらぐろ》い計画なのである。
いつもの時間になると、すこし坂になった土手沿いの道のむこうに、おじいさんの馬車が見えだしてきた。
キャラコさんのほうは、馬と老人を策略にかけてちかづきになろうという下心があるので、なんとなく平気になれない。
「こんなふうにしていると、まるで、不良少女のようだわ」
不良少女はともかくとして、自分に関係のない他人の生活に興味をもって、ひと束の人参を手土産にして、うやむやにささり込んで行こうなどというのは、たしかに、あまり趣味のいいことではない。
キャラコさんが、まとまりのつかない顔をして立っているうちに、馬車はいつものところでとまり、老人は馬車のほうへのびあがって秣槽《まぐさおけ》をおろしはじめた。
キャラコさんは、それをぼんやりと眺めながら、足踏みでもするような曖昧な身振りをする。そのはずみに、うしろに隠していた人参が、ごつんとふくら脛《はぎ》にぶっつかる。
(ああ、そうだっけ!)
三四歩|後退《あとじさ》りをすると、公園に散歩にでも来たお嬢さんのような、なにげないようすで老人のほうへ歩み寄りながら、こんなふうに声をかける。
「おじいさん、こんにちは。……あたし、公園へ散歩に来ましたのよ」
老人は、秣をかきまぜる手をやすめて、ゆっくりとキャラコさんのほうへふりかえると、片手で頬かぶりをしていた手拭いをとって、
「やあはれ、それはお元気なこって……。いやはや、こんなところへ馬車をばつなぎまして、お邪魔なこってござります」
キャラコさんは、へどもどして、
「いいえ、そんなことはありませんわ。いつまででもつないでおいてちょうだい」
老人は、それこそ、橋がかりへ出て来た高砂の尉《じょう》のようなおっとりしたしかたで小腰をかがめて、
「そんならば、ちょっとの間《ま》、ここへ置かせていただきますでござります」
と、いって、またゆっくりと秣槽を取りおろしにかかる。つぎ穂がなくなりそうなので、キャラコさんは、あわててでまかせなお愛想をいう。
「おじいさん、ずいぶん立派な馬ですね。……それに、利口そうな顔をしてますわ」
老人は、皺だらけの顔を笑みくずして腰をのばすと、可愛くてたまらないというふうに、馬のほうへ流眄《ながしめ》をつかいながら、
「……こんな片輪ものですけに、立派ということはござりませんがな、気のいいことにおいては、けして、ほかの馬にひけをとらんのであります」
「それに、元気そうですわ」
「いやはや、わし同様、すっかり老いぼれてしまいまして、はやもう、なんの芸もないのでござります」
「そんなに謙遜なさらなくてもだいじょうぶよ。だれが見たって感心するにきまってますわ。うちにも一匹おりますけど、とても、この馬とはくらべものになりませんの」
「お嬢さま、あなたは、ほとほと馬がお好きと見えまするの」
「ええ、大好きですわ。でも、こんな立派な馬を見るのははじめてよ。……なるほど、すこし跛《ちんば》をひくようですけど、そんなことは欠点にならないとおもいますわ。なによりだいじなのは、優しいということよ。……それはそうですわねえ、おじいさん。あなただって、そうお思いになるでしょう。いくら走るのが速くても、力があっても、意地悪ではとるところがありませんわ」
老人は、嬉しそうにうなずいて、
「はい、仰せのとおりなのでございまする。何がどうあろうと、情け知らずでは駄目でござります。けだものと人間が、ながねん連れそって暮らしてゆくには、お互いの親切がなくてはやってけんのでござります」
そして、皺の中へ眼をなくして、また、いとしそうに馬のほうへふりかえりながら、
「こいつはまァ、気のいい、ひと懐《なつ》っこいやつではありまするが、ただひとつ困ったことは、喰べるものに気むずかしいことでござります。……それと申しますのも、あまり、甘やかしたせいでござりましょうなれど、乾草《ほしぐさ》や藁《わら》などは見向きもいたしませぬ。……牧草でも、レッドトップならば匂いぐらいは嚊《か》ぎまするが、チモーシとなれば、はやもう、鼻面《はなづら》も寄せん。燕麦《えんばく》に大豆。それから、※[#「麥+皮」、第3水準1−94−77]《ふすま》に唐もろこし。……それも、水に浸して挽割《ひきわり》にし、糠《ぬか》と混ぜて練餌《ねりえさ》にしてやるのでなければ、てんから受けつけんのでござります」
老人は、夢中になって、人の好さそうな顔を紅潮させながら、
「ああ、じっさい! なんということでござりましょう!……林檎《りんご》を日に五つずつ。……角砂糖は喰べ放題。……カステラを喰べ散ら
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