なかを見まわす。
この小さな公園の樹《き》も草も、花も、みな、この老人の親しい友達なのにちがいない。その証拠には、この老人は、ひとの眼に触れたこともないような、藪《やぶ》かげの一輪の花の消息にさえ、ちゃんと通じているのである。
たのしそうに、あちらこちらの繁みや藪かげをのぞき込みながら、
「花菅《はなすげ》は、もう終りだ」
と、つぶやいたり、
「おや、唐胡麻《とうごま》は、きょうは元気ないの」
などといったりする。
花菅も、唐胡麻も、眼につくようなところにあるのではない。よほど注意して見なければわからないような、深い藪かげにあるのである。
たんのうするだけ花や草に挨拶すると、老人は水飲み台のほうへ立っていって、備え付けのアルミニュームのコップに、いっぱい水をくむ。それを口へもっていってすっかり飲みほすと、
「ああ!」
と、深い溜息をつきながら、空をあおぐ。
それは、このうえもない満足をあらわすしぐさなのだが、滑稽でもあり、あわれでもあった。
それから、ベンチへ帰ってきて、ゆっくりと風呂敷包みをとく。こんなことをいっては申し訳ないのだが、その握飯《むすび》は、びっくりするほど黒い色をしている。それに、二つに割ったその芯《しん》には、何ひとつ慰みになるようなものもはいっていない。
老人は、それを大切《だいじ》そうに両手のなかで捧げ持って、舌づつみをうちながらゆっくりゆっくり食べはじめる。ひと口|頬張《ほおば》っては、この世にこれ以上の珍味はないというふうに、
「うむ」
と、感にたえたような声をだす。
老人は、上顎にも下顎にも一本も歯がないと見えて、口をムグムグやるたびに、皺だらけの頬がじつに奇妙な動きかたをする。上唇と下唇がいっしょくたになって、鼻の下まで飛びあがり、唇の両端が耳のそばまであがっていって、お能の翁の面のような、なんともいえぬ味わいの深い顔になる。
老人は、勿体なそうに、ひと口ずつたいへん手間をかけて食べる。しかし、世にも楽しそうなこの食事も、そうながくかかるわけではない。握飯《むすび》は子供の握り拳《こぶし》ほどの大きさしかないので、まもなくすんでしまう。
老人は、指についた飯粒を唇でていねいにひろいとり、よれよれになった風呂敷を畳んで膝のうえにおくと、後味をたのしむように、うっとりとした顔でしばらくじっといる。それから、ゆっ
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