し、こっちは、ひどく情けなくなって、君を抱いて家のなかを訳もなく歩きまわっていたんだ。そうでもしなくちゃ、心細くて、とてもやりきれなかったんだ」
美しい音楽でも聞いているようで、キャラコさんは、思わず、うっとりとなる。あの絵を見た瞬間、自分の心になんともつかぬ不思議な感じがひき起こされたのは、決して理由のないことではなかった。
「……そのうちに、ようやく医者がやって来たが、君は、どうしても僕の腕から離れようとしないんだ。……寝台へ寝かそうとすると、えらい声で泣き出す、しようがないから、ずッと抱きつづけていて、朝になってから、テクテクと一里ちかくも歩いて病院まで連れて行った。……なにしろ、ひどく手こずらしたもんだよ。僕の胸へぎゅッと顔をおッつけて、なんといっても離れないんだからね……」
そのひとは、ひやかすように、キャラコさんの顔をのぞき込んでから、
「この胸ンとこに、いまでも、君の顔型《かおがた》が残っているかも知れないよ」
このひとの深い心が、その時も、自分をうったのにちがいない。今の自分の感情にひきくらべて、それが、よくわかるのである。自分は、それと気がつかずに、長い間、この
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