た」
 久世氏のいい廻しは、たいへんに上手でしたが、やはり、よけいなことをいいに来たもんだという、苦々《にがにが》しい調子が含まれていました。
 あたしは、すこし赧《あか》くなって、
「さっきも、申し上げましたが、あたくしは、そんなむずかしいことでおうかがいしたのではありませんでしたの。ただ、これをお届けしたいと思って……。ボクさんも、たぶん、そうありたいとねがっているのだと思いましたから」
 そういいながら、ボクさんが詩を書きつけた紙片《かみきれ》を、久世氏のほうへ押してやりました。
 久世氏は、それを取りあげて、だまって読んでいましたが、間もなく投げ出すようにそれを卓《テーブル》の上に置くと、厳《いか》めしい咳払いをしながら、
「ちょっと、失礼します」
 と、いいました。
 立ってゆくのかと見ていると、そうではなく、ゆっくりと眼鏡をはずして、両手を顔にあてたと思うと、調子はずれな大きな声ではげしく号泣《ごうきゅう》しはじめました。
 ちょうど海綿でも絞ったように、涙が両手の指の股からあふれ出し、筋をひいてカフスの中へ流れ込みます。まるで、含嗽《うがい》でもするような音をたてながら、
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