「はやくお喰《あが》んなさいね、早く、ね」
困ったことには、利江子夫人は、毎朝、かならず六時ごろ一度眼をさましますが、この時、ボクさんの部屋からヴァイオリンの練習をする音がきこえていなくてはならないんです。
五時半までには、あと四十分ぐらいしかないのですから、ゆっくり喰べさせて置くわけにはゆきません。しなければならないことが沢山あるんですもの。
ようやく、林檎が無くなります。二人は兎小屋へ駆けて行って五分ほど兎と遊びます。シーソーを二三べん。厩《うまや》へちょっと寄って、馬さんに挨拶をして、またもとのところへ戻って来ます。
あたしは、急いで絵本をひろげる。『ベカッスさんの宝島探険』というお噺《はなし》なんです。
きのうは、ベカッスさんが帆前船《ほまえせん》に乗り込むところまで行きました。きょうは、いよいよ船出しなくてはなりません。さまざまな手真似をまぜながら、あたしが読みだす。波の音や風の音まではいるんです。
ボクさんは、草の上に猫みたいに丸くなって、酔ったようになって聞いています。
……どうも、工合の悪いことには、ベカッスさんの船がだんだんゆれ出す。ひどい風だ。山のよ
前へ
次へ
全40ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング