っていいはずよ。あたしは、我慢して、とうとう飛び出さなかったのですからね。そのかわり、夢中になって、じぶんの腕をつねっていたので、そこんところに大きな青痣《あおあざ》ができましたわ。
二人が料理場を出て行きますと、あたしは、泥棒猫のように、地べたに腹を擦《す》りながら勝手口から逃げ出した。こんなやるせない思いをしたことがありませんわ。あたしは、半《はん》べそをかいていました。
三
お隣り寄りの、小瓦葺《こがわらぶき》の土塀の裾に、大きな壊《く》い穴があいているでしょう。下草《したくさ》が、まだ露でしっとりと濡れているころ、あたしは、毎朝、そこでボクさんを待っていますの。ほんの、三十分ほどお話をするために。
ほの暗いうちに起きだして、そっとお台所へおりて行って、しきりにゴトゴトやります。ゆうべのうちに下拵《したごしら》えをして置いた茹卵《ゆでたまご》やハムでサンドイッチをこしらえたり、蜜柑水《みかんすい》をつくったりなかなかいそがしいのです。
それができ上ると、ナプキンに包んで膝の上に置き、お台所の椅子に腰をかけて、時間になるのをじっと待っています。
窓がほの白くな
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