そうしてね。……ボク、うまくママを向うへ連れてゆきますから、そうしたら、あの勝手口から逃げていって、ちょうだい。ボク、あすの朝早く、そっと塀《へい》のところへゆきますから……」
あたしがその小部屋の扉《と》をしめると、ほとんど同時に、料理場の扉《と》があきました。ほんとうに、危ないところだったのよ。
息をつめながら、暗闇の中で耳をすましていますと、こんな会話がきこえます。
――ボクちゃん、ここで何してた?
――ボク、遊んでた。
――おや、たいへん、いい匂いがすること!
――ママ、ボクお菓子をつくってたの。ママをびっくりさせてあげようと思って。
――これは、捏粉菓子《ブリオーシュ》じゃありませんか。これ、あなたがこしらえたの?
――ええ、ママ。
――嘘おっしゃい。……誰れが来たの?……この家へ誰れもいれてはならないはずだったでしょう。もう、忘れたの?
――つねっちゃ、痛い!……ああ、そんなにひどくすると痛いから……。
――早くおっしゃいね。
――角《かど》のお菓子屋さんが来たの。もう店をやめますから、お別れにお菓子をつくってあげましょう、って。……嘘をいって、ご
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