またつむじをまげて、せっかくの和解もだめになってしまうだろうと思って。
あたしが、そういいますと、久世氏も、ようやくなっとくして、渋々、ボクさんを離しました。ボクさんは、駆けて行っては、また戻って来て、
「明日《あす》ですね、パパ。……あすの朝ね」
と、同じことを、いくどもいくどもくりかえしてから、あきらめたように、しおしおと歩いて行ってしまいました。
久世氏は、とりのぼせたようになって、穴から首をつき入れて、小さな声で、
「ボクや、ボクや」
と、いつまでも呼びつづけていました。……
お兄さま。
ボクさんは、あまり悲しいので、二階の穴から飛び出して、ほんとうに星の世界へゆくつもりだったのですって。お別れに、楽しかったこの土塀のまわりをひと目見に来たのだそうです。
久世氏は、利江子夫人と和解なすったそうです。どんなふうな和解だったか、まだ聞いてはおりませんが、あたしには、それは、どうだっていいことですわ。ボクさんさえしあわせになってくれれば、それで、いうところはないのですから。
底本:「久生十蘭全集 7[#「7」はローマ数字、1−13−27]」三一書房
1970(昭和45)年5月31日第1版第1刷発行
1978(昭和53)年1月31日第1版第3刷発行
初出:「新青年」博文館
1939(昭和14)年7月号
※初出時の副題は、「傍若夫人とボクさん」です。
※底本では副題に、「月光曲《ムウン・ライト・ソナタ》」とルビがついています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年12月7日作成
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