る。元気な時は、挨拶をして、そのまま泳ぎ抜けて行くが、時には、十分ほど筏に片手をかけて息を入れて、それからまた岸へ向って泳いでゆくこともある。
「|有難う、お嬢さん《サンキュー・リットル・ウィメン》」
 普通の挨拶のほかに、ヘップバーンが出てくる映画の『若草物語』の原作、オルコット夫人の有名な小説『四人姉妹《リットル・ウィメン》』にかけているのらしい。
 なるほど、うまくいったもんだ。そういえば、もの静かな、すんなりした白い手がご自慢の長女のメグは詩人の芳衛さんに当るし、色が浅黒くて、きりっと身体のしまった男の子のようなジョーはいうまでもなく鮎子さん。内気《うちき》で音楽好きのベスは、陽気なピロちゃん。お姫様のように上品で、絵の好きな末娘のエーミーはトクべえさん。……まるで、ご註文のように、キチンとあてはまる
 ところで、ピロちゃんも、鮎子さんも、トクさんも、(リットル)といわれることをあまり感じよく思っていない。
「あたしたちは、もうウィメンなんだぞ。ちゃんと一人前に扱ってくれえ」
 絵の上手なトクさんが、ふんがいして、いった。
「あたしたちは、すくなくとも(リットル)なんかじゃないぞ。リットルなんていわれて、黙っているわけにはゆかないわ。……英語の『リットル』という言葉のなかには、たしかに、軽蔑する意味もあると思うんだ」
 ピロちゃんが、大真面目《おおまじめ》に、うなずく。
「あたしも、そう思う。……あの英吉利《イギリス》人のやつ、たしかに、あたしたちを馬鹿にしているんだ」
 黙って水浴着《マイヨオ》の裾を引っぱっていた芳衛さんが、すこし皮肉な調子でいった。
「ほんとうに、(リットル)ではいけないわねえ。……でも、お見受けするところ、どなたも、(グレート)とはいえないようだわ」
 このひと言のために、筏の上は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「芳べえのばかやろ。国民精神が稀薄だぞ!」
「ひとの真面目な議論をまぜ返すのはよくないです」
 芳衛さんは、みなにやり込められて黙ってしまった。
 一人前の淑女たちを『リットル・ウィメン』などと呼んだ仕返しに、ワイズミュラー君のことを『ローリーさん』と呼ぶことにした。小説では、『四人姉妹』の隣りに住んでいる、ローレンス家のちっちゃな坊やの名前である。

     二
 いっぱいに開け放した硝子扉《ケースメント》から、薄荷
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