んよ。……じつはね、あたし、今日まで、やれるだけやってみたの」
 それから、もう一層声を低めて、
「ひょっとすると、ローリーさんは、たいへんなやつなのか知れないんだぞ!」

     四
 から騒ぎではなく、『赤い帆のヨット』とローリーさんの関係に見きわめをつけることが、五人の義務になってきた。
 いろいろな現象をとおして、できるだけ注意深く事実を観察すること。その結果を綜合し、これに結論を与えることは、こういうことに熟達した専門家に任せるほうがいいというキャラコさんの意見だった。
「芳衛さん、あなたが『お茶の会』へ出席して、ローリーさんを監視するようなことはよしたらどうかしら。そんな子供じみたことで、ローリーさんから何か探り出せるわけはないんだし、何より、傍観者の態度を捨てないことが、だいじだと思うんだけど……」
 芳衛さんは、もちろん、それに服従した。
 そのかわり、ツアイスの二百倍の望遠鏡でヨットとヨットの中の人間の動作を観察する役目が与えられた。
 それを記録する係りが、ピロちゃん。……トクべえさんは、ローリーさんがヨットから海へ飛び込む時間を正確に記録して、毎日の時刻の変化を図表《グラフ》で表わしておくこと。……鮎子さんは三人の助手。そのほかに『観察』が終ったら、それを持って、横須賀の造艦部に勤務しているお父さんのところへ行く役目が振り当てられた。
 所定の五日が終った。
 芳衛さんの報告書は、なかなか美文だった。

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一、ヨットを操縦しているのは、『SSヨット倶楽部』のミス・ダンドレーと称している婦人。ヨットの中の動作はきわめて単純なり。クッションにもたれて常に読書す。時には、ローリー氏が朗読し、ミス・ダンドレーがこれを傾聴することあり。ミス・ダンドレーは、ローリー氏に対して、きわめて冷淡なる態度を示す。これに対して、ローリー氏は、不満を訴えるがごとき動作をなすことあり。他《た》に著《いちじる》しき事実なし。ただ、ローリー氏がヨットを離れんとする際、きまって口論するがごとき身振りを相互に交換す。いかなる意味なるや、解し難し。
[#ここで字下げ終わり]

 トクべえさんが、『ローリーさんが海へ飛び込む毎日の正確な時間表』を呈出した。それは、次のようなものだった。

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八月十九日 午前九時十二分
同 廿 日 午前十
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