ったかしら。……よく、気をつけてなかったけど」
鮎子さんが、突然、大きな声を出す。
「たしかに、いたような気がする!」
ピロちゃんが、うなずく。
「そういえば、なるほど、そうだったかも知れないわ」
キャラコさんが、いった。
「ローリーさんというひとは、毎朝、そのヨットから泳いで来るのじゃないかしら」
なるほど! ピロちゃんも、鮎子さんも、トクべえさんもゾクッとしたような顔で互いに眼を見合わせた。
キャラコさんが、つづけた。
「……赤い帆のヨットが、定《きま》った時間に、きまった場所へやって来るのだとすると、従って、ローリーさんも、毎日、きまった時間に、きまった場所から岸へ泳いでいることになるわけね」
三人が一斉に叫ぶ。
「そうだわ!」
ピロちゃんが、真剣の眼付きで、
「でも、なぜ、そんなことをするのかしら?」
「それは、あたしにもわからないけど、こんなことは考えられるわね。……もちろん、これは、あたしの想像よ。……ともかく、ことさら、赤い帆をつかったりするのは、どこからでもはっきり見えるようにするためで、蝶々のような風変りなかたちの帆をあげるのは、他のヨットと紛らわしくないようにして置くためだともとれるわ。……それから、もうひとつ。……この要塞地帯で、わざわざ目立つようなことをするのは、そのゆえに、逆にひとの注意をそらそうとする意図なのじゃないかしら」
いつの間にか、三人は椅子から離れて、キャラコさんの足下《あしもと》の床へ坐り込んでしまった。
「そうだとすると、たいへんなことになって来たな。すると、つまり……」
そこまでいって、急に口を噤《つぐ》んでみなの顔を眺めわたした。その心は、すぐ、みなに通じた。しかし、誰もそのあとを続ける気にはなれなかった。この思いつきは、馬鹿ばかしいようでもあり、恐ろしいようでもあった。
みな、急に声が低くなって、額《ひたい》をあつめて、ごしゃごしゃと話し合っているところへ、芳衛さんが、細かい花模様のある、提灯《ちょうちん》のように裾のひらいたオーガンジの服を着て、気取ったようすで入って来た。
馬鹿ねえ、といいながら、まっ直ぐに黒板のほうへ歩いて行って、その上の字を拭き消すと、いつもとちがった、ひどくつきつめたような顔で皆のほうへ戻って来て、床の上へ坐り込みながら、囁《ささや》くような声で、いった。
「諸君、たいへ
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