同 廿一日 午前十時四十八分
同 廿二日 午前十一時三十六分
同 廿三日 午後零時二十四分
[#ここで字下げ終わり]

 キャラコさんが、ちょっと、考えてから、
「この時間表で見ると、ローリーさんは、毎日、正確に満潮の頂点で海に飛び込んでいることになるのね」
 そして、鮎子さんに、
「お父さまに、すぐ、こちらへ来ていただけないかしら」
 といった。心配な時にする、れいの、むずかしい顔をしていた。

 ゆうがた、鮎子さんのお父さんの松永氏が、別荘へやって来た。
 四人の調査の結果を聴き終わると、瞬間、たいへん緊張した顔つきになったが、すぐ、顔をひきほぐして、
「なるほど! 諸君は、ブラブラ遊んでいたわけではなかったんだね。……なかなか大したもんだぞ、これは」
 そういって、あとはなんでもない他の話に紛らわしてしまった。
 二人の外国人が、ローリーさんを媒体にして、相模《さがみ》湾の湾流の調査をしていたのだった。
 ローリーさんの身体の重さは、ちゃんと計量されてあるので、ローリーさんが泳ぐ速度に係数《コエフイシアント》を掛け合わせると、満潮時の潮流の速度と日々《にちにち》の変化がわかる。
 ミス・ダンドレーの共謀者は、江ノ島の江ノ島|楼《ろう》の二階から、ローリーさんが規定の一点を過ぎる時の浮揚度、潮流の抵抗、湾入の方向、毎日の潮流の速度の変化などを、速度計や、ストップウオッチや、磁石式羅針儀を使って綿密な研究をしていたのだそうだった。
 ところで、ローリーさんのほうは、この研究には何の関係も持っていなかった。ミス・ダンドレーが、一と月の間、ヨットから岸まで泳ぐ勇気があるなら、あなたの求愛《プロポーズ》に応じましょうといったので、熱烈にそれを実行していただけのことだった。それにもかかわらず、ローリーさんも間もなく、日本から退去を命じられたということを、一ヵ月程のち、五人が聞いた。
 鮎子さんが、ふうんと、いった。
「ローリーさんは、なかなか詩人だったんだね。見なおしたよ」



底本:「久生十蘭全集 7[#「7」はローマ数字、1−13−27]」三一書房
   1970(昭和45)年5月31日第1版第1刷発行
   1978(昭和53)年1月31日第1版第3刷発行
初出:「新青年」博文館
   1939(昭和14)年9月号
※初出時の副題は、「海の青年隊」です。
※底
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