》を睨みつける。
書机《デスク》は、わずか五六歩ばかり離れたところにある。青羅紗《あおらしゃ》の上で、小さな紙きれが風に吹かれてヒラヒラしている。それが、さあ、やっておいで、わけはないじゃないか、と誘いかけているように思われる。そこまで歩いて行って、抽斗《ひきだし》の中の手紙を盗みだすぐらいのことは、いかにも一|挙手《きょしゅ》一|投足《とうそく》のわざである。
(盗む……)
この言葉が、とつぜん異様な重苦しさで胸をしめつける。
耳のそばで、こんな声がきこえる。
(お前は、いま、飛んでもないことをやらかそうとしているんだぞ!)
キャラコさんの背筋を、ゾッとするような冷たいものが走りすぎる。
じぶんは、今日以後、一度も心にはじることをしたことがなかった、という、嬉しい感情を味わうことはできない。
(あたしは、いちど、ひとのものを盗んだことがある!)
この、忌わしい、情けない記憶は、今後、終生心にまつわりついて、じぶんを責め立てるだろう。明日《あす》からの朝の寝覚めは、もう、清々《すがすが》しさを失うであろう。
キャラコさんは息苦しくなって、両手で喉をつかむ。心の中で、灼《や
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