》けつくように、ねがう。
(早く、誰か入って来てくれればいい)
 ところで、耳をすまして見ても、誰もこっちへやってくるらしい気配はない。庭にも母屋にも、人声ひとつきこえず、森閑とひそまりかえっている。このしずけさがキャラコさんの心を竦《すく》みあがらせる。とうとう、どたん場へ押しつめられてしまった。
 一人のキャラコさんが、さいそくする。
 ――早くやっつけろ、どっちみち、やらなければならないんだ。
 べつのキャラコさんが、こたえる。
 ――どういう動機で動いていいかわからないわ。
 ――動機もくそもあるもんか。ひと足《あし》踏み出しさえすれば、あとは自然にうまくゆく。
 キャラコさんは、渋々承知する。死んだ気になって、ひと足|書机《デスク》のほうへ踏み出す。案外、わけはない。
 一歩、二歩、三歩……。
 いわゆる、忍び足というやつで、猫のように、虫のように、そろりそろりと這ってゆく。
 ようやく、書机《デスク》に行きつく。
 キャラコさんが、元気のない声で、つぶやく。
「とうとう、やって来た」
 書机《デスク》は、すぐ眼の前に、手を伸ばせば届くところにある。
 ところで、それは書机《デスク》なんてものじゃない。まるで、城のように、絶壁のようにそそり立って、冷然とキャラコさんを見おろしている。抽斗《ひきだし》は、みな、キュッと口を結んで触《さわ》りでしたらただではすまさないぞ、というふうに意地の悪い眼をむいている。
 キャラコさんは、ムッとする。敵愾《てきがい》心を起す。
(やろうと思えば、こんなことぐらいわけなくやれてよ)
 思い切って手を伸ばす。右の、上から二番目の抽斗《ひきだし》に指先が触れる。チカッと、火傷《やけど》をしたような痛みを覚える。指が抽斗の曳手《ひきて》にかかる……
 その瞬間、なにか形容し難い戦慄が、電光のように頭のてっぺんから爪先まで差しつらぬいた。
 自分のうしろで、なにか、物に触れ合うような異様な気配を感じた。キャラコさんは、ぎょッとして、ふりかえる。
 この部屋の中に何かいる!
 もの静かな息づかいをしながら、微妙に動き廻っているものがある。
 気のせいではない。何か模糊《もこ》としたものが、まじろぎもせずに、じぶんを瞶《みつ》めている。
 キャラコさんは、不安な眼差しで部屋の中を見廻したが、なにものも見当らない。寒々《さむざむ》とした
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