いで、すこし運動していらっしゃい。……さァ、立ったり、立ったり……」
キャラコさんが、あきらめてシオシオと立ちあがる。
「まいりますわ。……でも、おばさま、一緒に行ってくださるでしょう」
母堂は、ぷッと噴《ふ》きだして、
「いやだ、このひとは。ひとりじゃ、こわいのかい。……ほんとうに、どうかしているよ、今日は。……よしよし、じゃア、一緒に行ってあげよう」
なんとなく、脚《あし》がふらつくところへもってきて、庭下駄の鼻緒《はなお》がうまく足の指にはさまらないので、キャラコさんは時々よろめく。首を垂れて、いわば、屠所《としょ》の羊といったぐあいにトボトボとついてゆく。
さっきは雲煙万里だと思っていたのに、こんどはいやに近い。ものの二十歩も歩いたと思ったら、もう離屋《はなれ》の玄関へ行きついてしまった。
式台の端の花|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《い》けに昼顔が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]けてある。水をやらないものだから、花が、みな、のたりと首を垂れている。
「おや、おや、せっかく※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]けてやっても、これだから……」
遠くから庭下駄の音が近づいて来た。玄関から女中が顔をだす。
「ああ、そうか。よし、よし、すぐゆく」
キャラコさんのほうへ振り返って、
「いますぐ来ますから、あなた、ひとりで入っていてちょうだい。税務署からひとが来たから……」
そういい捨てて、女中と二人で母屋《おもや》のほうへ行ってしまった。
キャラコさんが、書斎の入口に立つ。息づまるような瞬間がきた。
書斎のなかは、妙にしんとしずまりかえり、時々、かすかに小鳥の翔《かけり》の音がきこえるほか、なんの物音もひびいて来ない。
数寄屋《すきや》づくりの檐《のき》の深い建物なので、日射しは座敷の中まで届かない。窓のそとは、くゎッと明るくて、樹々《きぎ》の葉も、庭土《にわつち》も、白く燃えあがっているのに、部屋の隅々はおんどりとうす暗くていろいろな家具が、畳の上によろめくような翳《かげ》を落している。なんとなく妖《あや》しげで、これから犯罪が行なわれようとするのに、うってつけの場面である。
大きな本棚の中で本が立ったり寝ころんだりし、鳥箱や、
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