ときになると、エステル夫人もベットオさんも、さすがに名残りが惜しいらしく、キャラコさんの手をつかんでなかなか離そうとしなかった。エステル夫人が、キャラコさんの頬に接吻して、
「これは、お詫びのしるしです」
 と、正直なことをいった。
 ランチが、五|間《けん》ばかり快遊船《ヨット》から離れた。
 イヴォンヌさんが、元気のいい声で、
「さよなら、さよなら」
 と、怒鳴った。
 そのころになって、ピエールさんがあわてたように舷側《げんそく》へ出てきた。複雑な表情をしながらなにかひと言叫んだが、イヴォンヌさんの声に消されて、キャラコさんの耳には届かなかった。キャラコさんは、ピエールさんのほうへ手をあげて挨拶した。ピエールさんは、気がぬけたように無意味に手を振っていた。

     六
 快遊船《ヨット》を降りて半月ばかりのちの夕立ち模様の夕方、キャラコさんが部屋で本を読んでいると、
「お若い男の方が、お嬢さまにと、おっしゃって玄関でお待ちになっていらっしゃいます」
 と、女中がいいに来た。
 玄関へ出て見ると、混血児《あいのこ》らしい顔をした廿五六の青年が、火のついた巻煙草をじだらくに口にく
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