室《サルーン》へはいりましょう」
 すこし離れた船室の扉《ドア》がとつぜんにあいて、レエヌさんが顔をだした。閾《しきい》のところに立って、凍《こご》えたような眼でキャラコさんをにらみつけていたが、そのうちに、鶏の鳴くようなけたたましい声で叫んだ。
「ちくしょう、殺してやる!」
 走り寄ってきて、
「……|恥知らず《アンファーム》!……すれっからし《インピュダンス》!」
 と、わめきながら、手に持っていた短いロープの切れっぱしで、気がちがったように続けさまにキャラコさんの肩を打ちすえた。
 キャラコさんは、ロープのしもとの雨の下で、一種|自若《じじゃく》とした面持ちでレエヌさんの顔を見上げていた。
(なるたけ、腹を立てないように……)
 しかし、今度ばかりは、キャラコさんの忍耐はあまり役に立たなかった。生まれてからまだ一度も感じたことのないようなはげしい憤《いきどお》りの情が、酸のように、意志の力を腐蝕した。
(どんな事があってもあやまらせずにはおかない!)
 レエヌさんが、息を切らして打つのをやめると、キャラコさんは、しずかに立ちあがって、秋霜のような威厳で命令した。
「レエヌさん、あ
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