さんが、キャラコさんのほうを向いて、ちょっと、片眼をつぶって見せる。
「……あれ、ピゲェの一九三八年の|変り型《ファンシイ》よ。去年の(ヴォーグ)にのってたわ」
 キャラコさんも、見て知っている。たいへんだなア、と思って恐縮する。でも、きこえてはたいへんだから、あたりさわりのない返事をしておく。
「みごとね」
 ピエールさんは、困ったような顔でそのそばへ行って、もう、頭痛はなおったのかと、たずねる。
 レエヌさんが、突《つ》んぬけるような声で叫びだした。
「うるさくて、寝ていられません」
 これで、一座がしんとなる。
 レエヌさんの部屋は、ここからずっと離れた船尾のほうにある。そこまでこの騒ぎがきこえるはずはないのだが。
 アマンドさんが立って行って、いつも変わらぬ寛容なようすで、
「それは、悪かった。もう、よすよす……静かにしているから、行っておやすみ」
 これで、折れてくるかと思いのほか、いっそう気狂いじみたようになって、
「出て行くのは、あたしじゃない。あたしはここにいるんだ!」
 と、叫びながら、地団駄をふむ。
 我ままなことは知っているが、こうまでの狂態はさすがに今まで見たこ
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