っしゃるわね」
 イヴォンヌさんと山田氏の紹介で、帝国ホテルで、はじめキャラコさんに逢った時から、アマンドさんは、はればれとした、愛想のいい、しっかりしたこのお嬢さんがすっかり好きになってしまった。
 ふしぎなことには、顔だちばかりか、まっすぐに相手の顔を見てものをいうところ、なんともいえないほど愛らしい笑い方をするところ、わざとらしくないひかえ目なところなど、死んだ夫人《おく》さんの若いときにあまりによく似ている。アマンドさんはどうしていいかわからなくなって、ハンカチでむやみに鼻ばかりかんでいた。
 アマンドさんは、キャラコさんが、すぐ自分の近くにいると思うだけでなんともいえぬよろこびを感じる。しかし、気丈《きじょう》なお老人《としより》だから、夢中になっているようなようすは見せない。キャラコさんのほうも、ことさららしく話しかけたりするようなことはしない。ふいに甲板でであって、微笑し合っただけで行きちがうようなこともある。
 横浜を出帆《しゅっぱん》すると、浅虫《あさむし》の海洋研究所を見るために青森まで行き、それからまたゆっくりと南へくだって来た。
 アマンドさんは、キャラコさんと一緒にいられる日を、一日でも多くしようとたくらんでいるようにも見えるのである。

     三
 イヴォンヌさんが、白いウールのスーツを着て、うさぎのように飛び込んできた。
 息をきらせながら、大きな声で、
「キャラコさん、きょう射撃会《ショッチング》があるのよ。あなた、おやりになるわね」
「重大な相談って、そんなことでしたの」
「ええ、そうよ。日本の女性全体の名誉にかかわることですもの。こんな重大なことってそうざらにないわ」
「あたしも、出なくてはいけませんの?」
「でも、ことわる理由はないでしょう。……いやねえ、あなたみたいでもありませんわ、キャラコさん。……もっと、しっかりして、ちょうだい」
「困ったわね」
 キャラコさんは、しばらく考えてからあいまいな返事をする。
「あたし、うまくやれるかしら。……見ているほうがいいようだわ」
 キャラコさんが、にえ切らないので、イヴォンヌさんが、かんしゃくを起こす。
「そんな元気のないことではだめ。……お願いだから、やってちょうだいね」
 キャラコさんは、日曜ごとに長六閣下と戸山《とやま》ヶ原の射場へ出かけて行って、射※[#「土へん+朶」、第3水準1−15−42]《しゃだ》のカンヴァスに閣下と並んで腹ばいになって、いっしょうけんめいに点数を争う。けっきょく、いつもキャラコさんのほうが勝つ。
 射撃に自信がないわけではないが、負けることの嫌いなレエヌさんとまた競争になりそうで、それを考えると気が重くなる。
 キャラコさんは、レエヌさんと女学校の二年まで同級だった。レエヌさんのお父さまは廿年も前にカナダから来たフランスの学者で、日本で結婚をしてそれから幾年もたたぬうちに亡くなられたということで、レエヌさんは、学校では、母かたの姓を名乗って、木村|礼奴《れいぬ》といっていた。
 そのころのレエヌさんはロオレンスの絵にある少女のように美しかった。眼が深く大きくて海のように碧《あお》く、皮膚が冷たくさえて、いつも月の光をうけているようなふしぎな感じを与えた。すばらしく勝気な、固苦しいほど熱心な勉強家で、いつもキャラコさんと首席を争っていた。決してうちとけないひとで、こちらでどんなに愛想をよくしても、ちょっと微笑をかえすだけで、頑固に孤立をまもって、いつも校庭の隅で、ひとりでブウルジェなどの小説を仏蘭西《フランス》語で読んでいた。
 家庭的にたいへん不幸なひとらしく、保羅《ぽうる》という、やはり混血の兄がひとりいるということのほか、自分の家庭についてはなにひとつ話さなかった。家も横浜にあるというだけで、横浜のどこに住んでいるのか誰れにも知らさなかった。
 級《クラス》では、礼奴《れいぬ》さんがお母さんと二人で、横浜の海岸通りで酒場《バア》をやっているのだという噂が伝説のように信じられていた。
 身振りや、言葉のちょっとしたいい廻しのなかに、相手をどきっとさせるような、大胆な、人ずれのした調子があった。いつもものうそうにして、しょっちゅう遅刻したり休んだりした。礼奴さんには女学校でやっているようなことは、つまらなくてやり切れないのらしかった。
「退屈で死にそうだわ。女学校の教師なんてみな馬鹿ばかりね」
 などといったりした。
 二年の進級試験が終わった朝、礼奴さんが校庭の入口でキャラコさんを呼びとめて、
「あたし、カナダの叔父にひきとられることになったのよ。あなたとも、これでお別れだわ」
 と、いつになくしみじみとした調子で、いった。
 一年ほど経ってから、礼奴さんがカナダのヴァンクゥヴァから短い便りをよこした。
 
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