アマンドさんという、たいへんなお金持ちの叔父さんの邸《やしき》でぜいたくに暮らしていることや、カナダに籍が移ってレエヌという名になったことや、アマンドさんの息子のピエールさんと婚約したなどということを、誇らしい調子で書いてあった。
 快遊船《ヨット》の甲板で初めてレエヌさんを見たとき、それがむかしの礼奴さんだとは、どうしても思われなかった。髪を大人っぽくカアルし、きっちりとコルセットをつけ、言葉つきもそぶりもすっかりフランスのお嬢さんになり切っていて、日本に住んでいたようなようすはどこにも残っていなかった。
 それでも、さすがになつかしかったらしく、キャラコさんの手をにぎって、
「あたし、あれ以来日本の夢も見たことがなかったの。……あなたとこんなところでお目にかかるなんて、ほんとうに奇遇ね。この邂逅《ルコンネッサンス》は、たしかにふしぎよ」
 と、いって、いま、自分がどんなに幸福か、それを誇示するように、快遊船《ヨット》の中をくまなく案内して歩いた。
 しかし、レエヌさんの上機嫌は長くはつづかなかった。このごろでは、キャラコさんをあまりおもしろく思っていないらしい。
 ニュウグランドの土壇《テラッス》で、ピエールさんと二人っきりで話しているところを見てから、急によそよそしくなってしまった。
 ピエールさんは、死んだお母さんの子供のころの印象をなつかしそうにしみじみと話した。キャラコさんは、しんみになってそれを聞いていただけのことだったが、それ以来、レエヌさんは、なにか、ひどく対抗意識をもっていろいろといどんでくる。勝負ごとをひとつするにしても、いつも、あまり平和にはすまないのである。
 それに、カナダの銀行家だという、かっぷくのいい独逸《ドイツ》人くさいベットオさんも、あまりキャラコさんを好いていないらしい。アマンドさんの妹さんのエステル夫人などは、露骨にキャラコさんを毛嫌いして、
「あたしは、日本贔屓《ジャポニスト》というわけではないのよ」
 などと、はっきりしたことをいう。
 キャラコさんは、イヴォンヌさんの勧誘に屈服したばかりに、思いがけなく、こんな劇的な境遇に身をおくことになった。
 キャラコさんにしてもあまりおもしろくないが、こんなことぐらいで弱くなってはならないと思って、いっさい気にしないことにした。
 甲板のほうから鋭い銃声がひびいてくる。
 室僕《バトラア》が扉《ドア》をノックして、皆様が上甲板《ウエル》でお待ちかねです、といいにきた。
「ほら、迎いにきたわ」
 イヴォンヌさんは、じれったそうに足踏みをしながら、もだもだするというふうに胸のところをおさえて、
「あたし、ここんところにいいたいことがモヤモヤしているんですけど、どうも、うまくいえないの。……なんでもいいから、たった一度だけみなにあなたの腕を見せてやって、ちょうだい」
 西洋将棋《チェス》やドミノで勝って見たってどうでもないと思うので、今日までレエヌさんに譲ってばかり来たが、しかし、そうばかりしているのも、あまりほめたことではない。日本の娘は、みなこんなふうに卑屈なのかと思われても困るのである。負け勝ちは問題ではないが、自分のせいいっぱいなところを見せてやってもいいような気持になってきた。
 イヴォンヌさんは、キャラコさんの顔色を敏感に見てとって、
「よかったわ」
 と、うれしそうに手をたたいてから、急に真剣な顔になって、
「やるなら、あのひとに負けないで、ちょうだい」
 と、正直なことをいう。イヴォンヌさんも、レエヌさんが嫌いなのである。

 快遊船《ヨット》は、いま勝浦《かつうら》の沖を通っている。
 八|幡崎《まんざき》の灯台が、断崖の上でチョークのように白く光っている。
 二人が上甲板へあがってゆくと、舷牆《げんしょう》にすえつけた放出機《トラップ》のまわりに船長や客が船員が十四五人ばかり集まって競技をはじめている。いまアマンドさんが撃っているらしく、射撃台のところにまっ白な頭と桃色の首筋が見える。
 ベットオさんが審判係。バアクレーさんが記録係で、記録板を鼻の先におっつけるようにして点数をマークしている。かます[#「かます」に傍点]のように痩《や》せた、このひどい近眼のひとは、ミシガン大学の有名な東洋地理学者である。
 イヴォンヌさんが、遠くからにぎやかな声をあげて皆に挨拶をする。
 レエヌさんが、いつもの例で、おや、見なれない娘だ、というふうに、不思議そうな眼差しで二人をながめてから、
「ああ、あなたたちだったのね。あまり遅いから、もう、快遊船《ヨット》にいらっしゃらないのだと思っていましたわ」
 と、底意地の悪いことをいう。
 イヴォンヌさんは、負けていない。
「あたしたちが、まだまごまごしているんで、がっかりなすった?」
 レエヌさん
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