までつくるとは!」
「びっくりさせてお気の毒でしたわ」
「びっくりついでに、なにかひとつ朗読《レシテ》してきかせてください。……月もいいし……」
「でも、おしゃべりしながら詩をつくるってわけにはゆきませんわ」
「すると、つまり、私は詩作のお邪魔をしているってわけなんですね」
「ええ、まあ、そういったわけね。……それで、あなたのほうはどうなんです。身投げでもしにいらしたの?」
「身投げなら始末がいいが、私のやつは、こんなふうにのそのそ歩き廻らなければおさまらない病気なんです」
「夢遊病《ソムナビュリスム》ってわけなのね」
「たしかにそれに近いようですね。……つまり、心の悩み、ってやつなんです」
「おやおや、たいへんだ。じゃ、あたしなんかにかまわないで、どんどん悩んで、ちょうだい。ここで拝見していますわ」
「まあ、しかし、ちょっと|仲入り《アントラクト》ということにしましょう。お邪魔でなかったら、もうしばらく、ここへ掛けさせておいてください」
「ちっともかまいませんわ。どうぞ、およろしいだけ。……あたしは、あたしのことをしますから」
ピエールさんが、煙草に火をつける。男にしては、すこしやさしすぎる横顔が、瞬間、燐寸《マッチ》の灯《ほ》影の中へ浮びあがって、また消える。
ピエールさんは、心の中のひそかな憂悶をおし隠そうというふうに、わざとらしくほほえんで見せて、
「私は、レエヌを気の毒な娘だと思っています。誰からも愛されないし、誰からも好かれない。自分で、嫌われるように嫌われるようにしむけてゆくのです。……なにびとをも愛さなければ、どんな親切をも受けつけない。奇嬌《ききょう》で、廃頽的で、ひねくれていて、ひょっとすると、徳性《モラリティ》というものを全然持っていないようにさえ見える。……どんなものにも満足しないし、どんな環境にも落ち着いていられない。しょっちゅう、何か刺激と変化を求めてイライラしている。このへんのことは、あなたもよくご存知でしょう」
キャラコさんは、返事をしなかった。答えようとすれば、ピエールさんのいったことに同感するほかはないのが情けなかった。
ピエールさんは、努力しながらものをいっているというふうに、ときどき、度を超えた快活な調子をまぜながら、
「……率直に打ちあけますが、私自身、どんな具合にしてレエヌの気持を和《やわら》げていいのかわからなくなっている。……いったい、何があんなにレエヌをいら立たせるのか、どうしても理解することができないのです。……おやおや、これぁどうも、ひどく、述懐めいて来ましたね。しかし半分は、今夜、レエヌがあなたにした無礼な仕打ちのお詫びのためでもあるのです。まあ、そのつもりで聞いていらしてください」
「あたしのためならそんなお心づかいはいりませんわ。たしかに、あたしの出しゃばりだっていけなかったのですから」
ピエールさんは、これ以上、廻りっくどいことはいっていられないというように、急に、激した口調になって、
「ねえ、キャラコさん、いったい、なにがレエヌをあんなに自棄的にさせるのでしょう。何かお気づきになったことでもおありですか」
キャラコさんは、当惑を感じながら、言葉すくなに、こたえた。
「あたしには、むずかしすぎる問題ですわ」
ピエールさんは、すぐ気がついて、
「ごめんなさい。あなたを困らせるつもりではなかったのです。……それにしても、レエヌは、むかしからあんなふうだったのですか。あんなふうに虚無的《ニヒリテック》な……」
「いえ、そうは思いませんわ。うちとけないところはたしかにありましたけど、そのために、友達を怒らせるようなことはありませんでした」
ピエールさんは、ちょっとの間沈黙していたが、だしぬけに口をきって、
「レエヌが、横浜の海岸通りで、母と兄と三人で小さな酒場《バア》をやっていたことをご存知ですか」
「ええ、うすうす」
「たぶん、それが原因なのでしょう。……そういう事実が、われわれの耳へ届いたのは、つい二年前のことですが、父にすれば、何といったって弟の子供ですから、そんなふうに放って置くわけには行かないので、人をやって無理にレエヌをカナダへ引きとったのです。兄の保羅《ぽうる》のほうは、母親をひとり残して置けないといって、どうしても日本を離れませんでした」
「それで、レエヌさんのお母さまはどうなすったの」
「間もなく病気で亡くなりました」
「レエヌさんは、孤児《ひとり》になってしまったわけね」
「しかし、そのかわり、カナダへ国籍が移されて、叔父や叔母や養父や義妹や、……それから、許婚者《フィアンセ》までできたのです。しいていえば、礼儀正しい、清潔な環境と、どんなにぜいたくをしてもいいほどの財産とね。あのまま日本にいたら、レエヌはもっと不幸になっていたでしょう」
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