、ぐったりと側《わき》に垂れさがっていた。それでも、むかし、睡蓮《すいれん》の花のようだとよく思い思いした美しい俤《おもかげ》は、どこかにぼんやり残っていて、それだけに、いっそう、あわれ深かった。
傲慢《ごうまん》で、矜持《ほこり》の高い、レエヌさんの、このやつれ切ったようすを見ると、キャラコさんは、すこしばかり心の底に残っていた怒りや軽蔑の感情をすっかり忘れてしまった。胸がいっぱいになって、走るようにそのそばによると、鼻がつまったような声で、
「礼奴《れいぬ》さん」
と、ひくく呼んで見た。
レエヌさんは、ゆっくりと眼をひらくと、子供のように顔じゅう眼ばかりにしてまじまじとキャラコさんの顔をながめていたが、なんともいえぬ奇妙な微笑をうかべると、
「ああ、とうとう、いらしたのね」
と、つぶやくようにいった。
キャラコさんは、心からの和解の手を差しのべながら、
「ええ、あたしよ。……でも、思ったよりお元気そうで、うれしいわ」
レエヌさんは、
「ええ、どうも、ありがとう」
うわの空でいって、嘲笑するような口調で、
「ねえ、キャラコさん、あんた、とうとうやって来たわね」
と、もう一度くりかえした。
キャラコさんは、掌《てのひら》の中でレエヌの小さい手をしっかりとはさみとりながら、
「お手紙を見るとすぐに飛んで来たの……。ほんとに、飛ぶようにしてやって来たのよ、レエヌさん」
レエヌは、キャラコさんの手を払いのけると、瘠せた指で寝台の端をギュッと掴んで、けたたましい声で笑い出した。
「やあい、とうとう、ひっかかりやがった!」
(気がちがいかけているのかも知れない)
キャラコさんは、反射的に扉《ドア》のほうへふりかえったが、つい今まで立っていた保羅の姿はそこにはなかった。
いまにも吹き倒されるかと思うばかりに、ミリミリと家じゅうがきしみわたる。どこかで、風に煽られる鎧扉《よろいど》がバタンバタンと鳴りつづけ、それにまじって、階下《した》の扉口のほうで釘を打つような鋭い音がひびいてくる。
レエヌは、瘧《おこり》でも落ちたように、とつぜん笑いをやめ、眼を輝かしながらその音にききいっていたが、ゆっくりと枕の上で顔をまわして、キャラコさんのほうへ向きなおると、
「あなた、あの音、なんだか知っている? ……あれはね、保羅が、家じゅうの扉《ドア》や窓を釘づけにしてい
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