、手っとり早い」
 キャラコさんは、手紙を受け取るとぐっと、息をつめながら封を切った。一字一字を、どんなに骨折って書いたのだろう。ペンの先が、ところどころ、紙の裏まで突きぬけていた。

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 あたくしは、たぶん、不器用にやったのです。引き金のひきかたが下手だったので、弾丸《たま》は頭のうしろのほうへ喰い込んでしまいました。しかし、弾丸を抜き出すことはできませんし、心臓にもそろそろ異常が始まっています。もう、どうせ、そんなに長いことはないのでしょう。
 あたくしが弱っていなかったら、あなたのところへ飛んで行きたい。別れたピエールのことやあたしの辛かった時期のことでなく、あたしの短い生涯のうちで、いちばんはっきりした、誰も奪うことのできない、それこそ、ただひとつの実在だったあの楽しい女学生時代のお話をするために……。
 あたくしは、あふれるばかりの甘さとやさしさの夢に満ちていたあの時代のことを、まいにち、無垢な感動をもって思いかえしています。
 けれど、あの後のあたくしの生活はあまりにみじめで、そして、辛すぎたので、自分自身が、そんな楽しい時代を経たことがあったとはどうしても信じられないのです。どうぞ、あわれだと思って、ちょうだい。
 あたくしの枕元に坐って、それがほんとうにあったことだとあたくしに、しっかりといってきかせてください。あたくしは、追憶の清冽な水でこころを洗い、いつも、そうありたいと望んでいたように、しあわせな娘のように、死んで行きたいのです。……
[#ここで字下げ終わり]

     七
 ちょうど、生麦《なまむぎ》を通るころ、沛然《はいぜん》と豪雨が降り出した。
 水しぶきが自動車のまわりを白く立ちこめる。暗澹《あんたん》とした夜の国道の上で気がちがったように雨と風が荒れ狂っていた。
 保羅《ぽうる》はクッションにぐったりと背をもたせかけたままひとことも口をきかない。自分だけの物思いに深く沈潜しているようだった。
 キャラコさんは、レエヌさんの手紙を膝のうえにひろげ、薄暗いドーム・ランプの光でいくどもいくども読みかえす。
「悲しいわ」
 じぶんの楽しかった時代を信じることができないという悲しさは、いったい、どんなだろうとつくづくに思いやる。それは、いま死にかけている、不幸だったひとだけが感じうる、やるせない懐疑なのであろう。
 キャ
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