じっと自分たちを眺めている。
健康そうな、力みのある唇のはしがすこしばかりほころび、この荒れはてた小屋のなかでは、それが、新鮮な花々《はなばな》のようにも見えるのである。どんなに堅くひきむすばれたこころも、解きほごさずにはおかぬようなふしぎな魅力を身につけていた。
山下氏が、例の、すこし低すぎる声で、いった。
「……小屋へ帰ると飯ができていたり、部屋の中に花があったりするのは、たしかに気持の悪いことではないでしょう。われわれといえども、そんな楽しみを楽しみとしえないような片輪《かたわ》な人間ではありませんが、こんな苦しい生活をつづけているのは、むずかしい仕事の性質にもよることのほかに、これを機会に、戦場にいる兵士と同じような困苦を経験しようという積極的な意志によることなんです。……豊かに喰べたり、くつろいだり、ゆっくり眠ったり、……兵士的でないいっさいの生活態度を排撃しようと申し合わせているのです。……つまり、最初から、われわれの肉体に困苦を課すつもりで始めたことなんだから、むしろ、このほうがわれわれの望みなんです。……そんなふうなわけで、われわれは戦争をしているつもりなんだから、喰べることや着ることはともかく、あなたのような美しいお嬢さんが、われわれの生活の中へはいって来られるのはすこし困るのです。……われわれにとっては、いま、情緒ややさしい気分なんてものは必要がないばかりでなく、少々実のところ、迷惑なんです」
キャラコさんは頬に、サッと血の気がさす。いつになく、怒ったような声で、いった。
「お言葉ですけど、戦争は男だけがするものでしょうか。……戦場の兵士と同じような苦労を、女は、毎日じぶんの家庭でくりかえしています。……いつも、隠れて見えないところにいるけれども、その眼だたないところで、男性に協力して、びっくりするような大きな働きをしている『女の手』というものをどうぞ忘れないでちょうだい」
気がついて、困ったような顔をしながら、頬に手をあてた。
「あたし、……すこし、いいすぎましたわね」
四人のいちばんうしろにいた黒江氏が、低い声で、いった。
「かまいませんよ。どうぞ《ビッテ》、どうぞ《ビッテ》」
キャラコさんは、これで力をつけられてる。そのほうへちょっと感謝の微笑を送ってからまた続けた。
「……それから、情緒や女のやさしさなどというものを、なにか、役に立たない、つまらないものだというふうに考えるそういう考え方も、たいへん不服ですわ。……これは、聞きかじりですけど、欧洲戦争のとき、独逸《ドイツ》の前線にも、聯合国側ほど豊富に女性の慰問の手紙や篤志《とくし》看護婦がどんどん行っていたら、戦争の末期に、あんなひどい意気の阻喪《そそう》の仕方はしなかったろうという事も聞いて知っています。……あたしにいわせると、みなさまのいまの生活は、食事や休養がうまく行っていないことはもちろんですけど、それより、むしろ、女のやさしさとか、慰めなどというものが足りないことがいちばんいけないのだと思います。仕事の能率の上でも、気のつかないところで、どんなに損をなすっていらっしゃるか知れませんわ。……つまり、あたしはそういうことでお手助けしたいと思うのです。……戦争にだって看護婦というものが必要なんですから、みなさまの戦争に、あたしのような娘がひとり加わるのも、無益なことでありませんわ」
赤ら顔の原田氏が、牛のような太い声で、うむ、と、うなった。三枝氏が髯のなかから白い歯を出して微笑した。二人とも、熱心に弁じ立てているこの元気な娘に思わず同感したのである。
山下氏が、三人のほうへチラと振り返ってから、いぜんとして冷静な口調で、
「……それで、どんな動機でわれわれの手助けをしようなどと決心なすったのですか。……それに、あなたはいったいどういうお嬢さんなんです。まだ、それをうかがっていないようでしたね」
キャラコさんが、大きな声で、笑いだす。
「そうですわ。それからさきに申しあげなければならなかったのですわね」
急に、まじめな顔つきになって、
「……あたしのいまの境遇は、すこし奇抜すぎるようなところもありますので、信じていただくよりしようがありませんけど、あたし、最近、ある方からたいへんな財産を譲られましたの。それがあまり評判になったので、父がうるさがって、当分東京へ帰ってくるなというのです。ずいぶん困ったはなしですわね。……嘘でない証拠に、父の手紙をお見せしてもいいわ。……従兄《いとこ》の秋作の意見では、こんな機会にすこし世間を見て置くほうがいいだろうというので、あてなしに旅行をしていたんですの。……ご存知ないかも知りませんけど、今のあたしたちの年ごろの娘たちはどんなに精一杯な仕事をしたがっているか知れませんのよ。でも、めったにそういう機会《チャンス》にめぐまれることがありませんの。……だから、みなさまのような方にお逢いできたのは、あたしにとっては思いがけないしあわせでしたわ。意味もなく歩き廻っていただけですんでしまうかも知れなかったのですものね。……ところで、あたしが、みなさまにお逢いしたおかげで、この旅行は、たいへんな意義をもつことになりました。みなさまのお世話さえしてあげれば、間接に日本のなにかに寄与することになるのですから、こんなすばらしいことってありませんわ。……これが、あたしの決心の動機よ」
山下氏が、むずかしい顔をほころばせて、眼に見えないほどの微笑をした。
キャラコさんは、一歩前へ進み出て、胸を張って、いった。
「あたしは、こんな若い娘ですが、決してグニャグニャではないつもりですわ。それから、父も兄弟も従兄《いとこ》も、みな、あたしを信用していてくれます。あたしに絶対の信頼がかけられているんです。理由のあることなら何をしてもいいことになっていますの。ですから、あたしが、突然飛び込んで来たことで、みなさまにご迷惑をかけるようなことは決してあるまいと思いますわ」
愛想よく笑って、
「……ずいぶんしゃべりましたわ。……申しあげたいことは、まだどっさりありますけど、もうこれくらいにして置きますわ。……どうぞ、あたしをおしゃべりだと思わないでくださいね。ふだんは、これでも無口なほうなんです。あたし、一生懸命だったからなんですわ」
山下氏が、意見をたずねるように三人のほうへ振り返った。三人は思い思いの仕方でうなずいた。
山下氏は、キャラコさんのほうへ向き直ると、冷淡な口調で、いった。
「よくわかりました。……お見受けするところ、あなたは、男の仕事の邪魔をする、やり切れないお嬢さんとはすこしちがうようだ。仕事を助けてくださるという意味でなら、いてくだすって差し支えありません。……みなも、……どうやら……賛成しているようですから」
四
次の朝、まだ薄暗いうちに、四人は元気よく鉱坑のある谷間のほうへ降りていった。
キャラコさんは、たいへん忙しい。
四人の大《だい》の男をじゅうぶんに食べさせ、居心地よくさせ、くつろがせ、慰安をあたえ、休養させ、やすらかに眠らせ、……食べることから、身のまわりのいっさいのことを、十九になったばかりのこの二本の細い腕でやっつけなければならない。長六閣下とじぶんの名誉にかけて、宣言しただけのことは、やってのけなければならないのである。
四人が出かけてゆくと、キャラコさんは、小屋の掃除にとりかかった。
床板《ゆかいた》のあいだから生え出している草をたんねんにむしりとり、四つの窓には四人の防水|衣《ぎ》をカーテンのかわりに掛けた。炊事場の棚をつけなおし、落葉でつまっていた樋《とい》を掃除して、清水《しみず》が流場《ながし》へ流れこむようにした。雑草のなかに倒れていた扉《ドア》をひきおこし、骨を折ってこれを入口にとりつけた。
これに、午前いっぱいかかってしまった。
小屋のなかが片づくと、そろそろ夕食の支度にとりかからなくてはならない。まず、炊事道具と食糧の検査をはじめた。
四人がしょってきたものは、たいへん貧弱である。コッフェルが一つ、フォークのついたナイフが四挺、アルミのコップが四つ。……これでは、ないほうがましなくらいである。
材料のほうになると、これもまた心細いきわみだった。キャラコさんのぶんを合わせて、つぎのような貧弱な材料で、村へ買出しにくだる日までもちこたえなくてはならない。
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(キャラコの分)コッペ二つ、レモン二個、角砂糖一箱、板チョコレート二枚。
(四人の分)米、塩、味噌、乾パン、熱量食。
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キャラコさんは、意想の天才である。このような場合には、たいてい独創的な思いつきをしてひとを驚かすのだが、この貧弱な材料で四人の男を四五日養うというのには、たしかに、神の助けが必要なようである。
「困ったわね。これでは、どうにもならないわ。とりあえず、なにか力のつくものを喰べさせなければならないというのに……」
キャラコさんは、途方に暮れたようにため息をついていたが、間もなく気をとりなおして、男のように腕を組んでいろいろと工夫しはじめた。
しかし、思いつきをするのに、たいして時間はかからなかった。
「……裏山《うらやま》へ入ると、蕗《ふき》ぐらいあるかもしれないし、ひょっとすると、川には岩魚《いわな》なんかいるかも知れないわ。……ともかく、出かけてみるこったわ」
大急ぎで米をとぐと、裏山へ駆けあがって行ったが、木苺《きいちご》がすこしあるばかりで、喰べられそうなものはなにひとつ見当らなかった。
キャラコさんは、ガッカリして、情けない声をだす。
「おやおや、ずいぶん貧弱なところね。せめて、蕨《わらび》か蕗《ふき》の薹《とう》ぐらいあったっていいはずなのよ。木苺がこれぽっちとはあんまりだわ。……この分では、川のほうだってあまり期待ができないらしいわね」
キャラコさんは、ひとりでブツブツいいながら裏山をおりて川の岸までゆくと、すこしくい込んだ、沢のようになったところに、あさ緑の水草のようなものが密々《みつみつ》と生えている。見ると、それは水芹《みずぜり》だった。
キャラコさんは、夢中になって手をたたく。
「あら、水芹があるわ!」
手でさわって見ると、みずみずしい、いかにもおいしそうな水芹だった。
「これで、おひたしのほうは片づいた。……仏蘭西掛汁《フレンチ・ドレッシング》をかけてサラダにしてもいいし、お味噌汁の中へ入れてもいいわけね。……これだけあったら、充分二三日は喰べられるわ。……待っていらっしゃい、帰りにたくさん摘《つ》んであげるわ。……こんどは魚《さかな》のほうだけど、うまく、何かいてくれるかしら……」
岸について川上へのぼってゆくと、すこしよどみになって深い瀬《せ》へ出た。水の中へ手をいれて川底の石をひろって仔細に眺めて見ると、水苔に魚が突ついた口のあとがついている。
「うまい工合ね。このぶんなら、たしかに山女魚《やまめ》ぐらいはいそうだわ」
岸からそっと身体をひいて、骨を折って大きな蠅を一匹つかまえて羽根をむしって水の上へ落してやると、まるで待ちかねてでもいたように、水の面《おもて》がはげしく動いて、キラリと鱗《うろこ》を光らせながら、虹色の魚が飛びあがりざま、パクリとそれをのみ込んでしまった。四寸ぐらいもある美しい虹鱒《にじます》だった。
キャラコさんが、うっとりとした声を、だす。
「虹鱒だわ! なんて、すばらしいこと!……水芹《クレッソン》があって、そのうえ虹鱒まであったら、帝国ホテルのご馳走にだって負けはしないわ。……これじゃ、愚痴どころではないようね。貧弱なところだなんていったのは取り消してもいいわ」
キャラコさんは、うれしくて胸がドキドキしてきた。
「フライにして、レモンをかけて喰べてもいいし、塩焼きにしてもいいわね。利用の方法はいくらでもあるわ。それはそうと……」
それはそうと、この虹鱒をどうして捕まえようというのです。気をきかして、虹鱒が自分からフライ鍋の中へは
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