うまで手答えがないものだとは考えていなかった。……研究室の中でなら仕事の過程のうちで、ちょっとした反応がわれわれを慰めてくれたり、希望を与えたりしてくれるもんなんですが、なにしろ、掘れるだけ掘ってしまったあとばかし行くんだから、そこから金を探そうというのは、空気の中でクリプトンを探すよりまだむずかしい。いくら科学の力でも、腐土《ふど》を金にするわけにはゆきませんからな。しかしね、……」
急に快活な口調になって、
「しかし、今度はどうやらうまくゆきそうです。……今まではね、上総掘《かずさぼ》りというのでやっていたんですが、今までの失敗は、たしかに方法が不完全だったせいにもよるんです。……ところで、こんど、東京で電気|試錐《しすい》機というやつを仕入れて来ましたから、こいつでなら、必ずいい成績をあげることができると思うんです。……その一部分はこの中へ入っていますが、相当しっかりしたやつなんです」
子供が玩具《おもちゃ》でも楽しむように、眼鏡の奥で眼を細くして笑いながら、手をうしろへ廻して、ポンポンと背嚢《ルックザック》をたたいて見せた。
須走《すばしり》の方へ峠を降りきると、四人は昼食をするために道ばたへ立ちどまった。
背嚢《ルックザック》から乾麺麭《かんパン》の包みを取りだすと、掌《てのひら》の中でこなごなにくだき、たいへん熟練したやりかたで唾《つば》といっしょに鵜《う》飲みにしてしまう。
一枚すむと、すぐ次の一枚にとりかかる。これを、腰もおろさずに立ったままでやっつけるのだった。
昼食は三分とはかからなかった。
口のまわりの乾麺麭《かんパン》の粉を払い落として、水筒の水を一杯ずつ分けて飲むと、背嚢《ルックザック》をゆすりあげてサッサと歩き出した。
キャラコさんは、これだけのことで、この四人の連中が、今までどんな無頓着な日常を送っていたか、なにもかもわかるような気がした。
仕事に魂をうばわれた、この狂人《きちが》いじみた科学者たちは、まともな食事をするのをめんどうくさがって、朝も晩も乾麺麭《かんパン》ばかり喰べてすましているのにちがいなかった。四人の仕方で、それがはっきりとわかるのである。
キャラコさんが、やさしく訊問《じんもん》した。
「ずいぶん手軽にすみましたね。……けさは、なにをお喰《あが》りになったの?」
黒江氏が、大儀そうに、こたえた。
「なに、って、いつもの通りです」
「いつもの通りって?」
「つまり、いま喰べたようなもの」
「その前の日は?」
「べつに、変わったことはありません」
「それで、お炊事なんか、どうなさるの?」
黒江氏は、ふしぎそうな顔で、キャラコさんのほうに振り返りながら、
「お炊事、って、なんのことです」
「ご飯なんか、どんなふうにしてお炊《た》きになるの」
「ああ、その事ですか。……飯《めし》なんか炊《た》いたことはありませんよ。米は持っているには持っているんですが、とても、そんな時間がないもんだから」
「すると、毎日、朝も夜も乾麺麭《かんパン》ばかり喰べているってわけなのね」
「そうです。この半年ばかり、ずっとこんなふうに簡便《かんべん》にやっているんです。……それでなくとも時間が足らないんだから、できるだけそんなことを切りつめなくては」
「でも、そんなことばかりしていて、身体のほうはどうなるんですの」
「身体?……身体のことなんか関《かま》っていたら仕事なんかできやしません。そのほうは、当分おあずけです。……喰わないわけじゃない、ともかく、キチンキチンと喰べているんだから……」
「乾麺麭《かんパン》ばかりね」
「ええ、そうです」
従兄《いとこ》の秋作氏の友達に、画かきや若い学者がおおぜいいるので、身体のことなんか一向かまわないそういうひとたちの無茶苦茶な勉強ぶりというものを知らないわけではなかったが、それにしても、こんなひどいのは初めてだった。
キャラコさんは、腹が立ってきた。
「なるほど、たいしたもんだわね!」
自分達の仕事が大切なら大切なだけ、こんな無茶苦茶な仕方をしてはいけないのだった。
(こんなにひどく咳をしながら、こんな生活をつづけていたら、それこそたいへんなことになってしまう)
どうしても、このまま放って置けないような気がしてきた。
このひとたちを丈夫にしてあげることは、間接に大きなものに寄与することになる。一分ほど考えたのち、キャラコさんは、四人にくっついてゆくことに決心した。
こういうすぐれた仕事に、じぶんも参加することができると思うと、たいへんうれしかった。
須走《すばしり》の村へつくと、四人は手分けして買物をはじめた。キャラコさんは、そのちょっとの暇を利用して、すぐそばの茶店で、山中湖ホテルにいる立上氏にこんなふうに手紙を書いた。
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あたしは、いま、生まれてはじめといっていいくらい、つよく、感動しています。
ここまでくる途中で、四人の人と道連れになり、その人たちといっしょに、これから丹沢山の奥へ行くことに決心しました。
これから始められようとしているのは、たいへんに意義のあることで、あたしが、いくぶんでもそれに助力できることを、心から光栄に思うようなそんな、立派な仕事なのです。あたしのことはどうぞ、心配しないでちょうだい。
[#ここで字下げ終わり]
三
鉱山番《やまばん》が寝泊りしていたバラック建ての小屋は、あわれなようすで崖の上に立ち腐れていた。
扉《ドア》などはとうのむかしになくなって、板敷きの床のあいだから草が萌《も》えだし、枠だけになった硝子《ガラス》窓を風が吹きぬけていた。
小屋のなかへはいると、四人の一行はすぐ背嚢《ルックザック》をおろし、うす暗い蝋燭《ろうそく》の光をたよりに、探鉱や分析試験のこまごました器械を組み立てはじめた。
この四人自身が、それぞれ精巧な器械のようなものだった。無言のままで、すこしの無駄もなくスラスラと仕事を片づけてゆく。
キャラコさんは、暗いすみのほうへ遠慮深く坐って、いかにも馴れきった四人の仕事ぶりを感嘆しながら眺めていた。
古びた粗木《しらき》の卓の上に、レトルトや、分析皿や、そのほか、さまざまな道具がならび、荒れはてた小屋は、たちまち実験室のようないかめしいようすに変わった。
四人は、かんたんな日誌をつけおえると、寝袋《スリーピング・バッグ》をとり出して、さっさと寝支度にとりかかった。
キャラコさんも、それにならって背嚢《ルックザック》を枕にすると、じかに床《ゆか》の上へ長くなった。するどい寒さが爪さきから背筋のほうへ駆けあがる。きまりの悪いほど歯がカチカチと音をたてた。
かたく眼をつぶって眠ろうとしていると、おもおもしい足音が近づいてきて頭の近くで止まった。
眼をあいて見ると、四人の指導者《リーダー》格の山下氏がすぐそばに突っ立っていて、つめたい顔つきで、じっと見おろしている。
「あなたは、そこで何をしているんです」
キャラコさんは、おどろいて跳ね起きた。
意外な挨拶だった。説明はしなかったが、自分の意志はちゃんと四人に通じてるのだと思っていた。うるさがりもしないで従《つ》いてくるままにさせたのはその証拠だとかんがえていたのである。途方に暮れて、その顔をぼんやり見あげていると、山下氏がいかめしい声で、いった。
「寝るなら、どこかほかのところへ行って寝てください」
キャラコさんの心臓が瞬間、キュッとちぢこまった。が、すぐ元気をとりなおして、しっかりした声でききかえした。
「あたし、出て行かなくてはなりませんの」
山下氏は超然とした眼つきで、黙ってキャラコさんの顔を見つめている。
……それは、いまいったばかりだ。
キャラコさんは、蚊の鳴くような声で、つぶやいた。
「……あたし、ここにいたいのですけど」
対等でものをいうつもりなのだが、いつのまにか哀願するような調子になっているのが情けなかった。
山下氏が、詰問《きつもん》するような口調でたずねた。
「なんのために?」
キャラコさんは、できるだけまっすぐに胸をはると、
「あたし、あなたがたのお手伝いをしたいのです。……力のつく食物をこしらえてあげたり、女でなければできないような細かいことをしてあげたいと思って、それで……」
「たいへん、有難いですが、見ず知らずのあなたに、そんなことをしていただくいわれはない。だいいち、われわれは、あなたの助力などを必要としないのですから」
キャラコさんは、熱くなって、大きな声をだす。
「いいえ、それはちがいます。あなたがたは、ご自分たちが、どんな不経済なことをしているか、まるっきり気がついていらっしゃらないのです。仕事が大切ならばそれだけ、ちゃんと喰べたり、適当な休養をとったりする必要があるんです。そんなことをうまくやってあげるためにあたしの助力が……」
ここまでいったところで、キャラコさんの言葉はピタリと唇の上で凍りついてしまった。冷然と自分を眺めている山下氏の無感動なようすが、キャラコさんのこころをすくみあがらせた。
キャラコさんは、顔をあげて、山下氏のうしろにある三つの顔を順々に眺めたが、じぶんのきもちを理解してくれそうなやさしい眼差しを発見することはできなかった。穏和な黒江氏の眼さえ、はっきりとキャラコさんを追い立てている。
これで、おしまい。いわれた通り、ここから出てゆくよりほかはないのであろう。
キャラコさんは、背嚢《ルックザック》を取りあげてそれを背負うと、黙って戸口のほうへ歩きだした。
いつのまにか空が曇り、霧のような雨が、しんとした夜気《やき》をぬらしていた。
キャラコさんは、戸口のすぐそばまで行って、そこで踏みとどまった。もういちどやってみようと決心したのである。じぶんの気持を相手に伝えることができないのは、しょせん、まごころがたりないためであろうから。
元気よく廻れ右をすると、小屋のなかへもどってきて、四人のすぐまえで立ちどまった。
「……あまり突然でしたし、それに、私自身についてだって、なにひとつ申しあげていないのですから、気まぐれだと思われてもしようのないことですけど、でも、あたしがご一緒にここまでやってきたのは、決して、いい加減な考えからではなかったのです。……道みち、おひとりからいろいろうかがって、皆さまが、どんな目的で、どんな仕事をしていらっしゃるのか、よく承知することができました。……それから、食事の支度をする時間もないほどお忙しいということもよくよくわかりましたわ。……うかがいますと、この半年ばかりの間、ずっと簡便な方法で食事をすましていらしたのだそうですね。……仕事が大切だから、食事なんかのことで時間をつぶしていられないという考え方については、あたしにはあたしなりに別な意見がありますが、それはそれとして、たとえば、あそこで咳をしていらっしゃる黒江氏についてだけ申しあげても、誰れかちょっと気をつけてあげさえすれば、もっと丈夫になられるはずなんですわ。……みなさまは、仕事のほうが忙《せわ》しくて、健康や日常の細かいことまでとても気をつけていられない。……それは、よくわかりました。……ところで、……ごめんくださいね、こんな生意気な言葉をつかって。……ところで、ここにブラブラ遊んでいる女の手がひとつあるんです。……自慢になるほどうまいというわけではありませんけど、そんなふうにばかりしつけられて来ましたので、皆さまがお仕事から帰っていらっしゃると、部屋の中がキチンと片づいていたり、ご飯ができていたり、たとえ一杯にしろ、熱い紅茶をあげたりするくらいのことはわけなくやってのけられるんです。お裁縫《しごと》やお洗濯にも相当自信がありますし、お望みなら、部屋の中に、いつも花ぐらいは絶やさないようにして置きますわ。……それから、あたしは咳によく利く薬草の煎《せん》じ方も知っているんです!」
四人の目のまえに、敏感そうな顔つきをした娘が、正直そうなようすで突っ立ち、よどまない、率直な眼差しで、
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