キャラコさん
女の手
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)茅原《かやはら》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)「|妙なやつ《コーミッシェス・メーデル》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]
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     一
 キャラコさんは、ひろい茅原《かやはら》のなかに点綴《てんてつ》するアメリカ村の赤瓦《あかがわら》を眺めながら、精進湖《しょうじこ》までつづく坦々《たんたん》たるドライヴ・ウェイをゆっくりと歩いていた。山中湖畔のホテルに、従兄《いとこ》の秋作氏の親友の立上氏が来ていて、これからのキャラコさんの旅行の方針について、いろいろと相談にのってくれるはずだった。
 籠坂《かござか》峠へかかろうとするころ、とつぜん、重い足音がうしろに迫ってきて、四人の男がキャラコさんをおしのけるような乱暴な仕方で追いぬいていった。
 継《つ》ぎはぎだらけの防水したカーキ色の上衣に、泥のなかをひきずりまわしたような布目もわからないコールテンのズボンをはき、採鉱用の鉄鎚《てっつい》を腰にさし、背中がすっかりかくれてしまうような大きな背嚢《ルックザック》を背負《しょ》っていた。風体《ふうてい》からおすと、ひとくちに『山売《やまうり》』といわれる、あの油断のならない連中らしかった。
 ともかく、あまり礼儀のあるやりかたではなかった。そのうちの一人の手は、たしかにキャラコさんの肱《ひじ》にふれ、かなりな力で道のはじのほうへ突きとばした。
 不意だったので、キャラコさんは道のはしまでよろけて行ったが、そこで踏みとまって、れいの、すこし大きすぎる口をあけて、快活に笑いだした。
 おい、おれたちに追いついてごらん。……通りすがりに、きさくな冗談をして行ったのだとおもった。
 キャラコさんは、笑いながらいった。
「見ていらっしゃい、どんなに早いか」
 きっと唇《くち》を結んで、いっしょう懸命なときにするまじめな顔をつくると、前かがみになって、熱くなって歩きはじめた。
 山売の一行は、はるか向うの橋のうえを飛ぶように歩いている。駆けだすのでなければとても追いつけそうもなかったが、三十分ほどせっせと歩いているうちに、双方の距離がだんだん縮まってきた。
 峠のてっぺんで、とうとう四人を追いぬいた。
 キャラコさんは、くるりと四人のほうへふりかえると、のどかな声で、いった。
「ほらね、早いでしょう」
 泥だらけの四人の鉱夫は、ちょっと足をとめると、なんだ、というような顔つきで、いっせいにキャラコさんの顔を見すえた。
 無精髯《ぶしょうひげ》が伸びほうだいに顔じゅうにはびこり、陽に焼けた眉間《みけん》や頬に狡猾《こうかつ》の紋章とでもいうべき深い竪皺《たてじわ》がより、埃《ほこり》と垢《あか》にまみれて沈んだ鉛色《なまりいろ》をしていた。
 四人ながら、顔のどこかにえぐったような傷あとをもっていて、このどうもうな顔をいっそう凄まじいものにみせる。どんな残忍なことでも平気でやってのけそうな酷薄《こくはく》な眼つきをしていた。
 四人の山売《やまうり》は、けわしい眼つきでキャラコさんの顔をながめていたが、そのうちに、きわだって背の高い、冷やかな顔つきをしたひとりが、三人のほうへ振りかえって、ささやくような声で、いった。
「なにをいってるんだ、こいつ」
 小さな、円い眼をした貧相な男が、無感動な声で、こたえた。
「おし退《の》けたのが、気にいらなかったのだろう」
 いちばんうしろにいた、牛のようなどっしりと頑丈な男は、
「|妙なやつ《コーミッシェス・メーデル》」
 と、吐きだすようにいうと、小山のような背嚢《ルックザック》をゆすりあげてサッサと歩きだした。
 キャラコさんは、うまく追いつけたのでうれしくてたまらない。そうするのが当然だというふうに、いかにも自然なようすで四人の山売のうしろにくっついて歩きながら、愛想よく言葉をかける。
「これから、どこへいらっしゃるの?」
 だれも返事をしない。みな、ひどく肚《はら》を立てているような不機嫌なようすをしている。
 キャラコさんは、じぶんのいったことが聞えなかったのだろうとおもって、いちばんうしろからゆく、瘠《や》せた、細面《ほそおもて》の、どこかキリストに似たおもざしの頤髯《あごひげ》の男に、もう一度たずねてみる。
「どこへ、いらっしゃるの」
 銀縁《ぎんぶち》の古風な眼鏡をかけた瘠せた男は、見かえりもせずに、しめった声で、
「丹沢《たんざわ》の奥へ」
 と、こたえた。
 キャラコさんには、この一行がどんな職業の人間かわからないが、なにか大急ぎに急いでいることだけははっきりとわかる。いったい、どんなさしせまった用事で、こんなに夢中になって急いでいるのだろう。
 じっさい、一風変わった一行だった。まるで、敵でも追撃するような勢いで疾走してゆく。立ちどまりもしなければ口もきかない。必要があると、ごく短い簡単な言葉を互いにす早く投げあう。外国語らしい言葉もときどきまじる。山窩《さんか》のようなむざんなようすをした男たちの口から、そんな言葉がとびだすのが、だいいち、いぶかしい極《きわ》みだった。面《おも》ざしはいちいちちがうのに、なぜかひとつの顔のような印象をあたえる。この四つの顔は、ひどくさしせまった同じ表情でつらぬかれているのだった。
 キャラコさんは、他人の生活に無《ぶ》遠慮に立ちいるようなたしなみのない娘ではない。他人のことに興味などを持ちたがらないのが自分のねうちだとさえ思っているのだが、この奇妙な一行には、なぜか、つよく心をひかれた。なんのためにそんなに血相をかえて急いでいるのかきいて見たくなって、のんきな顔をしながら四人のあとについて歩き出した。四人のほうでは、キャラコさんのことなどは、てんで問題にしていないふうだった。
 キャラコさんは、この一行がどんな目的で丹沢山の奥へゆくのか、とうとう聞きだすことができた。たとえようもなく愛想のいいキャラコさんの問いかけには、この無愛想の山男も敵《てき》しがたかったのである。
 四人のうちで、比較的やさしげな、銀縁眼鏡の黒江氏が、重荷《おもに》そうな口調でだいたいのところをうちあけてくれた。

     二
 惨憺《さんたん》たるようすをしたこの四人の男は、じつは昨年の春まで、大学の研究室で『中性子《ヌウトロン》放射』の研究に没頭していた若い科学者たちだった。
 四人ながら、科学の研究にひたむきな熱情をそそぐことのできる誠実な精神のもちぬしだったので、戦争が始まると同時に熱烈に祖国を愛するようになった。
 四人の血管の中に脈々たる熱いものがたぎりたち、はげしい情感が息苦しく心臓をおしつけ、自分たちにふさわしい、できるだけ直接の方法で祖国の苦難に協力したいと考えるようになった。自分たちのまわりの人間が、祖国にたいしてあまりにも無関心なようすをしているのに、呆気《あっけ》にとられたことにもよるのである。
 慎重に意見を闘《たたか》わせたすえ、これから一年間、研究室のレトルトや電離函から離れ、四人の努力で一つでも多くの廃棄金山を復活させようと申しあわせた。これが、自分たちの力でなしうるもっとも適切な仕事だと考えたからである。
 この四人の若い学者たちは鉱山学にも深い知識をもっていたので、この仕事がどんなに困難なものか、最初からはっきりと知っていた。知識ではなく、不撓《ふとう》不屈の精神だけがこの仕事をなしとげさせるであろうということも。
 四人は、日本中の廃棄金山の鉱床《こうしょう》を調べ、過去の鉱量を精密に計算して、もっとも有望だと思われる六つの鉱山を選び出すと、四月のある朝、腰に砕《さい》鉱用の鉄鎚《スレッチ》をはさみ、耳おおいのついた古びた眼出帽《めだしぼう》をかぶり、首にタオルを巻きつけ、小山のような背嚢《ルックザック》を背負って、まず北陸へ向って出発した。
 この大きな背嚢《ルックザック》は、探鉱《プロスペクチング》と分析に必要な器械や薬品類だけが詰め込まれ、生活に必要なものはこっけいなほど無視されていた。――一枚の寝袋《スリーピング・バッグ》、共同の一つのコッフェル、フォークのついた五|徳《とく》ナイフ、コップが一つ。これで、全部だった。食べるためには米と味噌。そのほかに、蝋マッチひと包みだけはいっていた。
 戦場の兵士と同じ労苦をあえてしようという素朴の感情のほかに、自分らの肉体に精密器械のような緻密性を課したのである。
 廃鉱にたどりつくと、息をつく間もなく採鉱を開始する。
 重力偏差計で鉱脈をさがし、傾斜儀《クリノメーター》や磁力計で鉱床の位置をきめ、『直り』を探り、露頭を削り、岩層を衝撃し、鉱石をくだき、※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《わん》掛し、樋《とい》で流し、ピペットで熱し、時計皿にかけ……、未明から夜なかまで、鉱夫のするはげしい労働から分析室の仕事までを、全部自分たちでやってのけた。
 四人ともすっかりやせこけてしまい、顔のなかに、寄りつきがたいような辛辣《しんらつ》な表情が彫りこまれるようになった。
 完膚《かんぷ》ないまでにひとつの鉱山をやっつけると、この切迫した表情と、いよいよ昂揚する精神をひっさげて、疾風のようにつぎの鉱山へ乗りこんでゆく。この労働にささげない一|分《ぷん》は、むだな一|分《ぷん》だというふうに。
 こんなひどい苦労をつづけてきたが、いままでの五つの鉱山は、この四人にたいして、なんの好意も示さなかった。
 どの鉱山《やま》も掘れるだけほりつくされていて、一パーセントの金さえ単離させることができなかった。熱情と刻苦《こっく》にかかわらず、この一年のあいだなんら酬《むく》いられるところがなかったのである。
 この四人の山の餓鬼《がき》は、いま最後の鉱山にむかって疾駆をつづけている。火のついたような期待と科学者の熱情が一分間も四人を休ませない。丹沢山塊の奥に眠っている金色をした不生物が、絶えずやさしげな声で四人を呼んでいる。……
 キリストのような顔をした若い助教授は、こんなに委曲《いきょく》をつくしたのではなかった。が、四人のひどい憔悴《しょうすい》の仕方を見ると、ごく簡単な説明だけで、この一年の辛苦が、どんなにひどいものだったか充分に想像できるのだった。
 キャラコさんは、思わずため息をついた。
「たいへんだ」
 黒江氏が、重厚な口調でいった。
「かくべつ、たいへんなどというようなことではないです」
「でも、それでは、あまり過激ですわ」
 黒江氏は、ひどく咳き込みながら、
「過激というと?」
「休む時間もないというのは、あまりひどすぎますわ」
「ほほう。……でも、われわれはそんなふうには感じていませんよ。つらいのは、この仕事の性質なんだから止むを得ません」
「でも、程度ってものがありますわ」
「われわれの仲間には、もっとつらいことをやっている連中だってありますよ。このくらいのことはとり立てていうほどのこともないでしょう」
「ともかく、もうすこしお休みにならなくては」
「有難う。充分休んでいます」
「そんなふうには見えませんわ。やせっこけて、今にも倒れてしまいそうよ。……それに、あなたは、たいへん咳をなさいますね」
 えぐれたように落ち込んだ頬に、ともしい微笑をうかべながら、
「咳はむかしからです。この仕事のせいではありません。……ゴホン、ゴホン。……ほら、なかなか調子よく出るでしょう。……生理的リズムといった工合ですな。これだって、馴れると、ちょっと愉快なものです」
 キャラコさんは、いいようがなくなって黙り込んでしまった。
 黒江氏は、熱をはかるために、無意識にちょっと額へ手をやって、
「……憔悴《しょうすい》しているのは、肉体ではなくて、むしろ気持のほうです。容易でないことは始めから予期していましたが、こ
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