そろ昼の支度にとりかからなくてはならない。ご飯がたきあがると、せっせとお弁当をつくり始める。おむすびにしたり、海苔《のり》巻きにしたり、幕の内にしたり、いろいろである。
 お弁当ができあがると、番茶の薬鑵《やかん》をさげて、小屋のうしろの崖の上へあがってゆき、矢車草のなかに坐って谷底の合図を待っている。河原にいる山下氏が崖の上へ片手をあげる。これが、昼飯《ひる》にしようという合図なのである。キャラコさんは、それを見るといっさんに谷底へ駆けおりる。……。
 鋒杉《ほこすぎ》の稜線《りょうせん》のうえに、まっ青な空がひろがり、それを突きさすように高く伸びあがった檣《マスト》の頂きで、虹色の旗がヒラヒラと風にひるがえっている。
 あの次の朝、キャラコさんが食料をさがしに裏の崖へのぼって行ったとき、この檣《マスト》を発見した。むかし、なにに使ったものか、崖のギリギリのところに、ちょうどナポリの笠松《かさまつ》のようなようすで、すっくりと立っている。キャラコさんは、ふと思いついて、それに、虹色のマフラーを旗のように揚げた。
 これは、なにによる感情なのかじぶんでもわからなかった。ただ、高いところ
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