じっと自分たちを眺めている。
 健康そうな、力みのある唇のはしがすこしばかりほころび、この荒れはてた小屋のなかでは、それが、新鮮な花々《はなばな》のようにも見えるのである。どんなに堅くひきむすばれたこころも、解きほごさずにはおかぬようなふしぎな魅力を身につけていた。
 山下氏が、例の、すこし低すぎる声で、いった。
「……小屋へ帰ると飯ができていたり、部屋の中に花があったりするのは、たしかに気持の悪いことではないでしょう。われわれといえども、そんな楽しみを楽しみとしえないような片輪《かたわ》な人間ではありませんが、こんな苦しい生活をつづけているのは、むずかしい仕事の性質にもよることのほかに、これを機会に、戦場にいる兵士と同じような困苦を経験しようという積極的な意志によることなんです。……豊かに喰べたり、くつろいだり、ゆっくり眠ったり、……兵士的でないいっさいの生活態度を排撃しようと申し合わせているのです。……つまり、最初から、われわれの肉体に困苦を課すつもりで始めたことなんだから、むしろ、このほうがわれわれの望みなんです。……そんなふうなわけで、われわれは戦争をしているつもりなんだから、
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