のだと手まねで説明した。
 ようやく原因はわかったが、どの程度の負傷なのかわからないし、どういう手当をすればいいのか見当がつかないので、ともかく医者を呼んでくることがさしあたっての急務だった。
 キャラコさんが、ちゅうちょなく立ちあがった。
「あたし、行ってきますわ」
 時計を見ると、夜なかの二時だった。小雨がふり、それに、風が出かけていた。
 三枝氏がおどろいて、とめた。
「冗談じゃない、キャラコさん。こんな夜ふけに、あなたのようなお嬢さんをひとりでやられるものですか。私が行きます」
「だいじょうぶよ、心配しないでちょうだい。そんなことをなすったら、あなたあしたの仕事に差し支えるでしょう。あたしは遊んでいるんですから、あたしが行くのが当然よ。こんな時のために、あたしがここにいるんですわ」
 そして、黒江氏の顔をのぞき込むようにしながら、いった。
「すぐ医者を呼んで来ますから。元気を出していてちょうだい」
 黒江氏は、首をふって、いやいやをした。急に気が弱くなって、眼をしっとりとうるませていた。キャラコさんに、そばにいてもらいたいのらしかった。
 山下氏が、いつになく懇願するような調子で、いった。
「医者を呼びに行くことはわれわれにだってできますが、介抱するほうはわたしどもではうまくゆきそうもないから、あなたは、どうか、ここにいて、こいつを見ていてください。……黒江にしたって、そのほうが心丈夫だろうし……」
 キャラコさんは、素直にうなずいた。
「あなたが、そうおっしゃるんでしたら、そうしますわ」
 カバード・コートを脱いで、袖《そで》をまくりあげると、酢酸をたらし込んだ冷たい水で、せっせと黒江氏の咽喉《のど》を湿布《しっぷ》しはじめた。
「黒江さん、あなた、熱もないんですし、それに、そんなふうに、しっかりと眼をあいていられるでしょう。けして、たいしたことはありませんの、すぐ癒《なお》りますわ。災難なんて部類にもはいらないくらいよ」
 キャラコさんの声の中には、ひとの心をなだめすかすような、明るい、しっかりした調子があって、それをきいていると、この世の中に、クヨクヨしたり、思いわずらったりするようなことは何ひとつないのだというようなのどかな気持になるのだった。
 朝の九時ごろになって、三枝氏が宇部《うべ》から医者をつれて来た。
 医者の意見では、差し当って火傷面が融合するような危険はないが、こんなところでは手当も充分ゆきとどかないだろうから、町までおろして入院させたらどうかということだった。
 ところで、黒江氏のほうは、この小屋から出てゆくことをどうしても承知しないのだった。じぶんをひとりだけ町へおろすようなことはしてくれるなと哀願した。とりわけ、行き届いたキャラコさんの介抱を受けられなくなるのが心細いのらしかった。
 ぜひそうしなければならぬというのでもなかったので、病人の望むようにさせることになった。
 黒江氏は、キャラコさんが、ちゃんとじぶんの枕もとに坐っているのを見届けると、安心したようにこんこんと眠りはじめた。
 怪我のほうもそうだけれど、こんな折に休養と栄養を充分とらせて健康を回復させてあげたいとかんがえて、その思いだけでキャラコさんの心はいっぱいだった。
 まだ重湯が通るぐらいなので、元気のつくような食べものを喰べさせられないが、せめてさっぱりさせてあげようと思って、倒れたときのままの肌衣《シャツ》と靴下をはぎとりにかかった。
 黒江氏は、この地球上にどこにも身の置きどころがないというふうに身体を固くしながら、ささやいた。
「ひどく、よごれていますから……」
「ですから、サッパリしたのと取り換えましょうね」
「でも、……どうか、よしてください」
「じゃ、せめて、靴下だけでもとりましょう」
「しかし、きっと、ひどく臭うでしょうから……。このままにして置いてください」
「どうしても、いけませんの」
「死ぬよりつらいから、どうか、このままにしておいてください」
 ところで、小屋の災難は、これだけではすまなかった。

 一日において、その次の日、こんどは原田氏が落石の下敷きになって右足をつぶしてしまった。
 その日、三人は支柱のない危険な廃坑の中で働いていた。夕方ちかいころ、三人のすぐ横の岩盤が、きしるような妙な音を立てた。
 これが、災難のキッカケだった。根元のところから始った亀裂《きれつ》が、布を裂くような音を立てながら、眼にもとまらぬ早さで電光《いなずま》形に上のほうへ走りあがってゆき、大巾《おおはば》な岩側が自重《じじゅう》で岩膚から剥離《はくり》しはじめた。
 原田氏は、二人より比較的入口の近いところにいた。
 妙な音がするのでそのほうへふりかえって見ると、大きな岩側が、今まさに二人の上に倒れかかろうとしている
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