るのか知りませんから塩うでにしましたの。……それから、お砂糖がかかっているのは裏山の木苺《きいちご》で、手《て》コップにはいっているのは山女魚《やまめ》のスープです。たった一匹しか簗《やな》へはいってこなかったもんですから、こうするよりしようがありませんでしたの」
 そういって、丁寧に会釈をすると、
「あたしたちの年ごろの娘のお料理なんていうと、一般には、あまり信用されないのが普通のようです。なかには、ひどくおびえる方もありますわ。……でもね、どうぞ、恐がらずに喰《あが》ってちょうだい。あまりひどいことにならないだろうってことだけは、自信をもって申しあげますわ」
 原田氏が、ひどく固くなってフォークを取りあげた。
 三枝氏は、胸を張って、
「えへん」
 と、しかづめらしい咳ばらいをした。黒江氏は、何から手を出したらいいのかというふうに、キョトキョトと両隣りのやり方をぬすみ視《み》した。
 さすがに、山下氏がいちばん冷静だった。手《て》コップを取りあげてゆっくりとすすりはじめた。
 破小屋《あばらごや》の、ふしぎな晩餐がはじまった。
 四人ながら戸迷ったようなようすをし、食べものの上へ深くうつむいて、互いに顔を見られないように用心し合うのだった。
 半年ぶりで人間らしい食事をするというのに、みな、むっつりと頑固におし黙って、さもいやいやそうに喰べるのだった。
 ところで、どうしたというのだろう。
 ことさららしく顔をしかめているのに、みなの頬骨《ほおぼね》のうえのところに美しい血の色がさし、さながら輝きだすようにさえ見えるのである。
 分析皿にも、現像のパットにも、何ひとつ残らなかった。あんなに山盛りになっていたサラダも虹鱒のフライも、朝日に逢った淡雪《あわゆき》のようにどこかへ姿を消してしまった。特大のコッフェルで炊《た》いたご飯が、ほんの申し訳ほど底に残っただけだった。キャラコさんは、乾麺麭《かんパン》でもかじって我慢するよりしようがないことになった。
 黒江氏が、申し訳なさそうな声で、いった。
「こりゃ、どうも……、あなたのぶんまで侵略してしまったようですね」
 キャラコさんが、笑いだす。
「いいえ、そんなことはありませんわ。あたし、手廻しよく、さっきすまして置きましたの」
 食事がすむと、熱いチョコレートまで一杯ずつ配られた。
 四人は、チョコレートのはいった手《て》コップを取りあげると、這々《ほうほう》のていで実験室まで引きさがって行った。

 黒江氏が、チョコレートをすすりながら、遠慮がちに、つぶやくような声で、いった。
「……ともかく、あのお嬢さんに、家政と料理の天分があるということだけは、認めてもいいわけだね」
 三枝氏が、同じような調子で、こたえた。
「……そのほうでは、たしかに良識《フェルニンフィテッヒ》だよ。こういう種類の快楽は、われわれの仕事の邪魔になるとしてもだな」
 原田氏が、怒ったような大きな声を出す。
「きいたふうなことをいうな。……ご同よう、下宿の女中と、研究室の小使いの庇護《ひご》のもとにいるだけで、ああいう女性の行き届いた心づかいなどを受けたことはかつて一度もないんだから、それが仕事の邪魔になるかどうか、経験として語りうる資格のあるやつは一人だっていやしないんだ。……ところで、おれの感想を率直に述べると、おれは、非常に愉快だった。……喰いもののことなんかいってるんじゃないぜ。……はじめての経験なんで、うまく感じをいいあらわすことはできないが、とにかく、呆気《あっけ》にとられるくらい愉快だった。……なんではあれ、見ず知らずのお嬢さんにこんなに親切にされて、それが感じられないんじゃ、諸君は、相当な非人間《インユウメン》だぞ」
 山下氏は、唇のはしにおだやかな微笑をうかべながら黙ってきいていた。かくべつ、原田氏の意見に反対するようなそぶりはしなかった。

     五
 毎朝、キャラコさんは、まだ東が白まないうちに起きあがる。火を焚《た》きつけて朝のご飯をしかけると、眠っている四人の眼を覚まさないように、手早く、しずかに部屋の中を掃除する。まるで自分の心の中のように部屋を掃く。どんな隅でも掃き落とさない。
 四時半には、小屋の中がさっぱりとなっている。掃除がすむと、鉱山《やま》でつかう道具をそろえて、すぐ出かけられるようにしておく。五時には台所の食卓の上で、味噌汁とご飯が湯気《ゆげ》をあげて山へ行く四人を待っている。五時になると、四人がいっせいに起き出す。朝飯《あさはん》を喰べている間にサッサと寝床を片づけ、寝袋《スリーピング・バッグ》をよくたたいて戸外《おもて》へ乾《ほ》す。四人が出かけてゆくと、分析台の掃除にとりかかり、それがすむと洗濯をしたり繕《つくろ》いものをしたりする。十時になると、そろ
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