を追い詰められるように、岸のところへ古い蛇籠《じゃかご》と木の枝を沈めて※[#「竹かんむり/奴」、第4水準2−83−37]《ど》のようなものをつくった。
 二時間ばかりかかって、簗《やな》を張り終えると、ずっと川上から流れの中へ入って、真剣な顔つきをしながら、そろそろと魚を追いおろしにかかった。

 夕靄《ゆうもや》がおりるころになって、四人が小屋へ帰ってきた。
「お帰りなさい。たいへんだったでしょう」
 キャラコさんは、小屋の入口まで走り出してひとつずつ鉄槌《スレッジ》を受け取ると、四人を清水《しみず》のわいているところへ連れて行った。
「顔と手を洗って、ちょうだい」
 四人はよわよわしい反抗の身ぶりを示したが、ニコニコ笑いながら立っているキャラコさんのなんともいえない愛想のいいようすを見ると、抵抗し切れなくなったとみえて、観念したようにしぶしぶ顔を洗いはじめた。
 大男の原田氏は、狼狽のあまり、たったひとつしかないキャラコさんの石鹸を手からすべらせて、どこかへなくしてしまった。
 キャラコさんは、四人を台所兼用の『食堂』へ案内して、自然木《しぜんぼく》でつくった大きな食卓のまわりに坐らせた。
 主座には、色のさめたような蒼白い顔をした山下氏がついた。その右に、小さな円い眼をした縮れ毛の三枝氏。その向いが、どっしりと坐りのいい頑丈な原田氏。その隣りに、髯さえも悲しげな、しょっちゅう咳ばかりしている黒江氏が坐った。四人は、小屋の中があまりきれいになっているので、当惑したような顔つきで、眼のすみからジロジロと見まわしていた。
「思うようなことができませんでしたけど、どうぞ、どっさりあがって、ちょうだい」
 キャラコさんが、すこし上気したようなようすで、食卓のうえの白い布を取りのけた。
「ほう!」
 四人は、思わず、吐息とも嘆息ともつかぬ低い叫び声をあげた。
 食卓の上には、冷静な科学者の眼をも驚かすほどのすばらしいものがのっていた。
 かたちのいい川魚が、金色のころもをつけて、エナメル塗りの白い分析皿の上でそっくりかえり、現像用の大きなパットの中には、緑色の新鮮なサラダが山盛りになっている。そのとなりで、赤くゆであげられた海老《えび》のようなものが威勢よく鋏《はさみ》をのばし、山蘭《やまらん》の花をうかせたどろりとしたスープが手《て》コップの中で湯気《ゆげ》をあげている。コッフェルの蓋《ふた》には、薄い褪紅色《たいこうしょく》の木の実のようなものが山盛りになっている。……スープから|食後の果物《デッセエル》までのいろいろな喰べものが、蝋燭の光の中で鮮かな色をしておし並んでいた。丹沢の奥の、窓ガラスもないような破小屋《あばらごや》の中に、こんなめざましいご馳走が並んでいるなどというのは、まるで、夢の中の出来事のようだった。
 原田氏が、おびえたような顔で、
「これは、たいへんだ」
 と、つぶやいた。
 黒江氏は、感動して何かいいかけて、ひどく咳にむせんだ。
 三枝氏は、小さな眼をパチパチさせながら呆気《あっけ》にとられたようにぼうぜんと食卓の上をながめていたが、顔をふりあげてキャラコさんの顔をみつめると、低い声でたずねた。
「これは、いったい、どうしたというご馳走なんですか?」
 どういう手段と経過によって、こんな思いがけない結果に到達したのか、そこのところが知りたいという学者らしい好奇心を起こしたのだった。
 キャラコさんは、額ぎわまであかくなって、夢中になって説明した。
「……分析皿の魚は川にいた虹鱒を、乾麺麭《かんパン》をくだいた粉《こ》にまぶして油で揚げたもので、このサラダは、沢に生えていた水芹《クレッソン》を酢と油であえたものですわ」
 三枝氏が、納得しない顔をした。
「でも、こんな山ン中で、フライの油などあるわけはないが……」
「それはね、測量機械をふくオリーブ油を少々拝借したのですわ」
「ほほう。……それで、酢なんかは?」
「分析の実験にお使いになる酢酸を、ひとたらしほど拝借しましたの」
「なるほど!」
「いけませんでしたかしら……」
 三枝氏は、へどもどしながら、
「いや、結構です、結構です。……いけないなんてことはない。毒薬でさえなければ、何を使ってくだすっても結構ですが、それはそうと、この蟹《かに》と海老《えび》の合の子のようなのは、いったい何者ですか」
「これはね、有名な蜊蛄《ざりがに》よ。……日本の食通がひどく珍重するんですって。あたし、日本アルプスの山のホテルでいちどいただきましたわ。となりのテーブルにフランス人がいましてね、これが皿に盛って出ると、エクルビース、エクルビース! といって夢中になってよろこんでいましたわ。フランスでも、たいへんいきなものになっているんですって。……でも、どんなふうにお料理す
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